慶應SFC合格体験記

【合格体験記】慶應義塾大学 総合政策学部(2019年入学)#2 – 前編

慶應義塾大学SFC 合格体験記

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慶應義塾大学総合政策学部1年(2019年入学)のHiroです。1年間の浪人生活を経て、英語・小論文受験で合格しました。

現役・浪人と人生で二度“受験生”を経験し、いうならば「受かり方」と「落ち方」を両方知っているということになります。なので、どのようにして受かったのか、またどのようにして落ちたのかという僕の二つのエピソードを、ぜひ参考にしてご自身の受験に役立ててほしいと思います。なお、長文のため、2記事に分けて記載しました!

慶應SFCインテンシブコース

全敗した現役時代

それではまず現役時代の話からしていきたいと思います。

この章では、具体的にどのようにして“落ちたのか”を話していきたいと思います。「人の“落ちた話“なんて参考にならない」、「受かった話だけ聞かせてくれ」と思われるかもしれません。

しかしながら、受験というのは「受かり方は受かった人の数だけあるが、落ち方には明確な“最大公約数”がある」と思っています。すなわち、受かる人の特徴というのは人それぞれだが、逆に落ちる人というのは皆共通しているということです。

よく予備校のパンフレットに合格体験記が載っていると思います。そこから、「こういった勉強法があるのか!」、「そうやってモチベーションを保っていたのか!じゃあ自分もやってみよう!」といった今後の勉強に役に立つ情報が記載されているかもしれません。それ自体はとても良いことです。しかしながら、それぞれの「受かった話」にはばらつきがあり、明確な指針になることは少ないと思います。

その一方で、大学受験に落ちた人間の、いわば“不合格体験記”は、あまり市場に出回ることがないので目にしたことがないと思いますが、実は大半が同じ方向に収束するものです。落ちる人間というのは皆同じ落ち方をしているということです。そこで、その不合格者の「落ちる行い」というものを理解し、それを避けようと試みるだけでかなり合格に近づくのではないかと思います。

僕がこれから語る「不合格体験記」の中で触れる失敗要因だと考えられる行いを、もしあなたが行なっているのであれば、それはかなり危険だということを念頭に置いておいてください。それくらい「落ちる人間」というのは行動の大部分が一致しするということです。

そしてその行動は合格者には全くといっていいほど見られないものです。なので、受験勉強を始めるにあたって、まず初めに絶対にやってはいけない「負けパターン」を不合格者から学んでから、合格者の勉強法を採用すれば、スタートダッシュに失敗することはないと思います。

それでは本題の「不合格体験記」に入っていきたいと思います。

まず現役時代の受験結果は以下の通りです。

慶應義塾大学 経済学部     不合格
早稲田大学 商学部       不合格
早稲田大学 社会科学部     不合格
青山学院大学 国際政治経済学部 不合格
明治大学 商学部        不合格
明治大学 経営学部       不合格
中央大学 経済学部       不合格
中央大学 商学部        不合格

ここまでくると清々しいですね(笑)

受験した大学は全て不合格でした。そもそも併願校の選び方が間違っていたと思います。根拠のない自信で、早稲田か慶應のどちらかには絶対に受かると思っていました。そのため、「それ以下の大学なんてどうせ行かないからどうだっていい」という考えのもと、日東駒専と呼ばれる大学は一つも受けず、滑り止めを全てマーチで固めるという愚行に出ました。

現役時代は、単純に学力が足りていなかったということに加えて、戦略をまともに考えなかったことも、敗因の一つだと思います。

それでは、ここから現役時代の高校3年生の春からの具体的なエピソードを話していきたいと思います。

僕は現役時代「河合塾」に通っていました。受講していた科目は「早慶大英語」、「トップレベル文系数学」、「小論文」でした。選択科目は数学でした。

高校3年生4月の過ごし方


数学はもともと得意でした。特に本格的に受験勉強をする前から、河合記述で偏差値66〜69をコンスタントに取れている状態でした。だからと言って、僕は元から勉強ができるタイプであったわけではありません。高校も一流の進学校とかではなく、偏差値55程度の中堅私立高校でした。

しかし、謎に数学だけは得意で、そこそこいい偏差値をキープできていました。この数学を基準にして、志望校を慶應義塾大学経済学部に設定しました。「英語と小論文が数学と同じくらいの偏差値になれば受かる!」と考えていました。

一方で、英語は壊滅的にできませんでした。高3の4月の時点で、シス単がようやく1周囲終わったという状況で、それもただ1周終わっただけであり、テストしてみても正答率は7割くらいだったと思います。そんな時に河合塾の英語のクラス分けテストがありました。慶應経済が第一志望だったので、早慶の長文をメインで取り扱う「早慶大英語」というクラスに入りたいと考えました。

しかし、そのクラス分けテストは最大で5回まで受けることができるものでしたが、4回チャレンジしても基準に届かず、最後の5回目でようやく認定基準に届き、「早慶大英語」の受講が認められたという状況でした。ギリギリでクラスに滑り込んだので、多分クラスでは最下位だったと思います。その認定基準のレベルは、偏差値でいうと50程度だったので、それだけ英語ができていなかったということになります。

小論文に関してはノータッチでした。そもそも周りに添削してくれる人がいなかったので、小論文というものを書いたことがなかったです。

高校3年生4月の考察

後々受験が終わってから受かった子たちの状況を考えてみると、高3の4月の段階でかなり勝負がついていたように思えます。

受かった子たちは高2までの時点で、英語の基盤が固まっていたように見えました。偏差値でいうと60はないと厳しいと思います。「高3に入ってから本気で勉強すれば受かるかもしれないじゃん!」と思うかもしれませんが、そもそも受験は他の受験生との競争だということを忘れないでください。

僕自身、「逆転合格する!」と意気込んでいましたが、実際のところ、逆転合格はほとんどの確率で起きないという現実を知りました。

そもそも早慶に受かっていく連中の大半は進学校の中でも優秀な成績を維持できている人間であり、高2の冬の時点で、単語・文法・構文の基盤がある程度完成しており、足りていないのは長文の精読とスピードと英作文、という状態で高3を迎えます。

そして彼らは高3の夏終わりくらいまでにそれらを確実に仕上げてきます。夏以降は完成しつつある英語にさらに磨きをかけるのと同時に、選択科目の勉強にシフトしていきます。

慶應義塾大学の受験の場合で言えば、受験本番には英語9割・社会8割という感じで確実に合格を掴みとります。早慶を受けるということは、こういった最強の受験生と戦わなくてはならないということです。

「高3の春に偏差値40でもそこから頑張れば受かる」なんて甘い世界ではありません。偏差値40からでは絶対に受からないということではありませんが、その状況からは死ぬほど努力しないと受からないという話です。

「今はこの成績でも頑張れば受かる」というのは、基本的には希望のない励ましの言葉だということを覚えておいてください。「全力で勉強すれば受かるかもしれない」と思うかもしれませんが、あなたが全力で勉強している間、進学校の奴らも全力で勉強しているのです。

高3になってからは、受かる気がある受験生全員が全力で勉強し始めるのですから、基本的には4月の時点のヒエラルキーが覆ることはありません。本気で逆転合格する気があるならば、100m先で全力疾走している進学校の奴らを追い抜かせるほど、全力疾走しなければならないということです。

また、ある程度勉強ができるようになった人は、進む道に迷いがありません。逆にあまり勉強ができない人は、どの道に進んだらいいのかがわからず、必ず道に迷います。高3になってから道に迷い始めると、その間にどんどん周りに差をつけられます。

そのようなことも含めて、高2までの段階である程度英語の学力をつけておくことを強くお勧めします。僕はその逆転合格の本質に気がつかず、周りの受験生と同程度の勉強しかしていませんでした。100m先の進学校の奴らと同じペースで走って、100mの差がついたままゴールテープを切ったということなのです。もしかしたらもっと差が開いていたのかもしれません。

高校3年生5月〜8月の過ごし方


各科目予備校の先生に言われたことを着々と遂行していきました。

やはり英語が壊滅的だったので、受験勉強のほとんどの時間を英語に使っていました。その結果、英語はそれなりに長文が読めるようになってきました。

授業のテキストの予習も、最初はバカみたいに時間がかかる上にあまり理解できないという状況でしたが、一つの長文が1時間くらいで読み終わり、設問は7割くらいの正答率になってきました。夏休みはテキストの復習と熟語の暗記に時間を使いました。このとき、熟語の勉強を始めたことにより、シス単がおろそかになりました。完全にシス単の存在を忘れていたと思います。この時は、「単語をちょっとくらいやらなくても、後で覚えなおせばいいだろう」と思っていました。

数学は英語ほどの危機感を感じていなかったので、英語の勉強が疲れてきたら休憩的な感覚で1時間ほどやる、というやり方をしていました。もともと得意だったこともあり、この行いが命取りになることはありませんでした。

小論文は授業のテキストで扱った問題を何度も書き直しては添削してもらうというのを繰り返しました。これにより、小論文の授業を受ける前は自分のぼんやりと考えていることを言語化することがあまりできませんでしたが、スムーズに自分の考えを原稿用紙に落とし込めるようになりました。

そして、僕の受験勉強に一番大きな影響を与えたことが起きます。それは友達の存在です。この流れだと、メンタル的に辛い時もお互い支え合って乗り越えた、的なエピソードを期待するかもしれませんが、全くそうではありません。

ぼくにとってかなりマイナスに働く事象となりました。夏休みになり高校の授業がなくなり、僕は朝から予備校の自主室に通うようになりました。それは周りの受験生も同じです。そうなると、自習室に来るメンツが固定化され、多くの人が顔見知りになるわけです。そこまではどこの予備校にもある話ですが、ぼくが通っていた河合塾はとてもアットホームな校舎だったため、顔見知りでかつ授業が一緒だったりすると、「早慶大英語とってるよね!」という感じで話しかけられることが多くなり、結局他校の友達が15人くらいできました。

恥ずかしい話ではありますが、その中の半分くらいは女の子であったため、自分も楽しくなってしまい沼から抜け出せなくなってしまいました。毎日「おやつ休憩」という名の下、みんなでアイスやスイーツを買いに行ってラウンジで3時間くらい駄弁るという生活をしていました。また、廊下等で友達と会っても毎回30分くらいは立ち話をしていたので、朝から自主室に行っていたものの、実際に勉強していた時間は予備校にいる時間の半分くらいしかなかったと思います。

高校3年生5月〜8月の考察

今考えれば英語はもっと危機感を持って勉強すべきでした。一つの長文に1時間かかりその上正答率も低く、そして単語の暗記も完璧でなく、さらには熟語の勉強を夏から始める、という状況に全く危機感を覚えていなかったです。「先生に言われたことをやっているから大丈夫!」と思っていました。

確かに、自分で決めた道を信じて最後までやりきるというのは、受験においても必要なマインドセットになります。ですがそれで周りが見えなくなってしまうのは危険です。

「(一つの信じた道で最後までやりきる信念)+(客観的に自分を見定める力)」というのが、受験では絶対に必要となってきます

僕は前者に関しては完璧だったと思います。

「先生のやり方でここまでやってきてちゃんと英語の成績も伸びたし、このまま最後までその先生についていこう」と思っていました。ほぼ宗教に入信したようなものでした。

受験勉強は、「塾の先生のやり方」であれ、「受験系YouTuberのやり方」であれ、「ウェブサイトのやり方」であれ、完全にそのやり方の正当性を信じている奴が圧倒的に強いです。中途半端な気持ちでやっても絶対に伸びません。その点では、僕は心の底から先生のことを信じていたので、ちゃんと成績は伸びました。ただそこに客観的な視点があればもっと伸びていたと思います。

確かに着実に英語はできるようになっていきましたが、その伸び方はとても逆転合格できるようなペースではありませんでした。客観的な視点は全くありませんでした。客観的に自分を見つめ、自分の状況を正しく判断し、必要であるはずの学力と現状のギャップを認識し、そのギャップを埋めるべく死ぬ気で勉強すべきだったのです。

数学に関しては、英語がこの状況なので優先順位を考えたら正しい判断でした。もちろんもっとやった方がいいのは間違えないですが、その時間があるならば英語に回すべきだと思います。なので、後悔するならば、この時期から数学にコミットできる程度に英語ができているべきだったということになります。

そして友達に関してですが、受験に本気で受かりたいのであれば友達はいりません。誰かとつるむならば、自分の勉強の刺激になるような学力を持っていて、かつちゃんと勉強をしている人にしてください。それ以外の人間とつるむことはマイナスにしかなりません。

僕が当時つるんでいた友達の中に優秀な人間は一人もいませんでした。つるんでいた友達の中の受験結果で最もレベルの高い大学に行った子でマーチでした。当時絡んでいた友達の95%は今や全く絡みはありません。街で会えば話す、誘われれば飲みに行く、という程度です。そんな希薄な人間関係のために一生を左右する可能性のある大学受験を棒に振ってはならないのです。

「一生の友達になる可能性だってあるじゃないか!」と思われるかもしれません。しかしそれなら、受験期は友達に甘えるのを我慢して、大学受験でマックスいい結果をだし、その後進学した大学でできた友達の方がよっぽど一生モノになります。理由をつけて自分に甘えないでください。

僕は最終的に浪人したことで合格し、結果として取り返しましたが、それと同時に失ったモノも大きいです。取り返した合格は、本来現役時代に掴んでおくべきものだったのです。

そして、受験勉強は何より優先順位をつけて取り組むということが最も大事です。勉強面では、何から取り組むべきなのか、最悪捨てるとしたらどれか、を常に考え続けてください。受験勉強が完璧の状態で入試本番を迎える人なんていません。絶対に何かが途中で完璧になっていない状態で、受験当日というのは訪れてしまうものです。

なので、いま早急にやるべきことというのを徹底的に意識してください。科目で言ったら英語が最優先であるし、英語の中で言っても単語が最優先であるし、単語のレベルで言ったら速単上級編よりシス単の方が優先であるし…。と言った具合です。常に優先順位を意識して勉強するようにしてください。

そして生活面においても優先順位を常に考えてください。よく受験勉強が間に合わないからと言って睡眠を削る人がいます。しかし、睡眠を削るのは最終手段であり、削るべき時間としての優先順位は最下位です。絶対に他に削るべき時間があるはずです。

友達と廊下でくっちゃべってる時間、勉強の合間にInstagramでしょうもない友達のストーリーを見ている時間、夜寝る前にYouTubeを見ている時間、朝起きてから身支度をするまでの時間、長風呂している時間…など。こういった時間から削るべきなのです。

1日の行動スケジュールを書き出してみてください。いかに無駄な時間を過ごしているかがわかります。1日は24時間あり、そのうち8時間を睡眠に費やしたとしても16時間は残るのであり、本来は1日16時間勉強できるはずなのです。

1日8時間勉強したと聞くと、勉強メインの1日であるかのように思え、多いように聞こえますが、実際は起きている時間の半分しか勉強していないのです。8時間は別のことをしているということなのです。勉強面も生活面も、本当の優先順位を忘れないようにしましょう。

高校3年生9月〜2月の過ごし方


この時から焦り始めました。というのも、自分の学力が足りていないということを実感する機会が増えたからです。

1学期や夏休みはインプット中心の勉強が多かったので、学力を測る指標が少なかったのに対し、2学期以降は、アウトプットの割合が増えていったので、自分の学力のなさを痛感することが多かったです。

「早慶大英語」は、テキストを予習する形式ではなく、テストゼミ形式になり、2学期の12回のテストゼミにおいて制限時間内に解き終わることは1回もなかったです。しかし、「まだこれから伸びる。結局本番で合格点を取れればいい。」という、先生やスタッフの言葉に踊らされ、自分を正当化していました

当時は、「文章は読めているが、時間が足りない」という、受験生なら誰もが経験するこの状況を、軽視していました。「読める実力はあるから、あとはスピードを速くしていけばいいんだ。でも焦って読み飛ばすのは良くないから、これから過去問をやって勝手に速くなるのを待とう。丁寧に読むことの方が大事だ」と考えていました。

実はこの考え方自体は正しいです。英語というのは、速く読もうと思って読んでも内容の理解度が下がるだけなので、訓練を重ねていって結果として徐々に速くなる、というプロセスが正解です。

では何が間違っていたのか。それは時期です。完全に手遅れだったのです。速く読めるようになるのには、すなわち、読むスピードが次第に速くなるまで訓練を重ねることには、時間を要します。読むスピードが遅いと悩み始めたのは11月でした。それも数分のオーバーではなく、数十分のオーバーでした。英語がかなり簡単だと言われる早稲田大学商学部でさえも、過去問の時点で20分オーバー、完全に舐めきっていた明治大学商学部は30分オーバーと、もう救いようのないレベルでした。

直前期まで英語の過去問が制限時間内に終わったことはありませんでした。それでも自信だけはありました。絶対に受かってやると本気で思っていました。

数学に関してはそこそこでした。もともと得意であったこともあり、過去問でも人並みには取れました。マーチの過去問では半分くらいは満点でした。

しかしこれが根拠のない自信を生むきっかけにもなりました。ベストスコアをアベレージだと思い込んでいました。満点を取れることも多かったですが、当然毎回取れるわけではありません。6割しか取れない時もあります。しかしそう言った現実から目をそらしていました。常に満点が取れるものだと思い込んでいました。

過去問をやって満点ではない年度は“例外”と捉え、それについて考えることを放棄していました。そして早慶の過去問に関しても8割が取れることもありました。しかし、それも英語と同じく時間オーバーしてとった点数でした。それも、時間が足りなかったことは記憶から抹消し、純粋な8割と考えていました。

小論文に関しては、そこまで記憶がありません。それくらいにしかやってなかったということです。慶応経済の過去問は7年分くらいやりましたが、課題文読解が本当に甘かったと思います。課題文の半分くらいは理解できていなかったと思います

小論文の本質を確実に見誤っていました。奇抜なことを言ったり、個性的なことを言えばいいものだと勘違いしており、課題文の意図をわからないまま論述しており、そもそも課題文を性格に理解できない程度の教養の無さだったので、回答もバカ丸出しだったと思います。

高校3年生9月〜2月の考察

どの科目においても時間が足りないという問題に直面しました。

今考えてみれば、英語に関しては本当に早慶なんて狙えるレベルではなかったです。受ける資格なんてなかったと思います。年明けてからも平気で長文一個分時間が足りないということがありました。それでも、友人には見栄を張るために嘘をついて、点数を実際より高く言ったり、時間がオーバーしてしまうことは言わなかったりしました。そうやって自分を正当化していました。

客観的な視点を完全に見失っていました。自分にとって都合のいい側面だけを受け入れ、現状を正しく見定めるということができなくなっていました。これだけ学力が足りていないことを示す指標が自分の目の前に現れても、絶対に自分は合格すると本気で思っていました。周りには「なんでそんなに自信があるの?」「メンタルめちゃくちゃ強いね」と言われましたが、実際はそんなことではありませんでした。

自信があるように見えたのは、自信のなさを「偽りの自信」で隠していただけ過ぎず、メンタルが強いように見えたのは、自分のメンタルに響くほどに現状に目を向けていなかったに過ぎないのです。本当に自分に甘かったと思います。無理に自分を追い込む必要はないと思います。しかし、自分ができていないことははっきりと「できていない。このままじゃ落ちる」という認識を持つべきです。

自分に甘く、本当はできていないのに、「できている」と自分に言い聞かせている人、または本気で「自分ができている」と思っている人は、本格的に危ないと思います。自分の現状を正しく評価する客観的な視点というのを忘れないでください。

これは追い込まれれば追い込まれるほど持てなくなるものです。最後まで冷静に判断し、正しい判断ができるようにするためにも、早い段階からある程度の学力を有しておくことを強くお勧めします。最後に頑張ることは誰にでもできます。差がつくのは最初の頑張りです。最初の頑張りが、最後の頑張りの質を高めることになります。

勉強は単純な量だけでは決まりません。どのタイミングで頑張るかによっても結果が変わることがあります。僕は浪人時代、最初に頑張って土台を作り上げてから、あとはコンスタントに淡々と続け、本番直前は自分を追い込まずリラックスしていました。逆に現役時代は、最初にサボり、後々追い込まれてから頑張り始め、その結果自分を真に見つめることができなくなり、自爆したという感じです。

英語は特にサボったツケが後になって回ってくるので、1学期や夏休みまでに死ぬ気でやって基盤を固めておくべきです。

現役時代の受験本番


滑り止めをすべてマーチで固めていたので、当然人生初めての大学受験が初手からマーチということになります。これは本当に戦略ミスだと思いました。

最初の受験が明治だったのでかなり緊張しました。案の定失敗しました。いちばん最初の科目が英語でしたが、全く頭が回らず、最後の長文は解ききれませんでした。ただこれは当たり前の結果でした。そもそも練習の段階で時間内に解ききれたことがないのですから、当然練習以上の緊張状態にさらされている本番で、練習以上の結果を出せるはずもありません。その次の日の中央の試験も英語が解ききれませんでした。

そしてその2日後に、第一志望である慶応経済はただでさえ緊張するのに、電車の遅延で試験開始10分前に会場につき、本当にパニックになりました。心ここに在らずの状態で、気がつけば試験が終わっていました。その調子で、残りのマーチと早稲田商・社学の試験も終わりました。

早稲田の試験中は、試験日が遅かったので併願校の結果も徐々に出始めていて、もう浪人することになるだろうということを確信していたので、浪人したらもっとちゃんと勉強しようとか、夏休みもっと勉強しておけばよかったとか、周りの友達になんて言い訳しようかとか、別のことを考えていました。そのくせして、「努力をしても夢が叶わなかった人だっている」という歌詞の曲を聞き感傷に浸っていました。

この時、自分の努力が足りなかったということに気づいていながら、「でもこれだけ努力した」と思い込んでいることがまさしく「落ちた理由」なのです。まだいかに努力が足りていなかったかということが、実感として分かっていませんでした。

全敗した現役時代のまとめ

とにかく現役時代の敗因は、自分に甘かったということがいちばん大きいと思います。浪人してみてから感じたことですが、勉強ができる人間は自分に対して設けているハードルが高いです。満足するレベルを高く設定しています。

例えば授業の復習も、僕は一つの文章を30回くらい音読して満足していましたが、受かった子たちは100回くらい平気でやっていたと思います。飽きるほど復習して、徹底的に染み込ませ自分のものにしようとしているのです。またテキストの復習は、一回復習を終わらせたらその後はノータッチでしたが、受かる子たちは、何周も何周もして絶対に忘れないようにしていたのです。

これは言ってしまえば当然のことです。数ヶ月前にやったことなんて、誰しも人間なのですから忘れてしまうものです。受験勉強で得た知識というのは、受験本番で使えなくては意味がないので、本番が訪れるその日まで何度も復習して自分のものにするのです。

友達とくっちゃべっていたから勉強時間の絶対量を確保できなかった。これも「落ちる奴あるある」です。雑魚ほど人と群れたがるものです。自分の弱さに共感してくれる人を求めるのです。しかし、本来受験とは孤独な戦いです。とにかく優先順位を考えて行動すべきです。

その友達と喋ることによって、あなたは何を得ますか?常に今すべきことを考え続けてください。結局受験に求められるのは「当たり前のこと」なのです。受験に落ちる人間は当たり前のことができなくて落ちるのです。逆に「当たり前のこと」さえこなしていれば、受験は余裕で受かります。合格者とは「当たり前のことを、誰よりも当たり前に続けられた人」なのです。

不合格者体験記は収束し、合格者体験記は分散するという話を冒頭でしたと思います。それは、不合格者というのは皆そろって当たり前のことができていなかったが故に不合格者となるという意味で収束し、逆に合格者は「当たり前のことを当たり前にこなした」という前提で、そのプラスアルファの要素が合格者体験記で取り上げられるため分散するということです。とにかく自分のミッションに忠実に生きることを徹底してほしいと思います。

続きの浪人時代の合格体験記は、こちらをお読みください

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慶應義塾大学総合政策学部1年。1年間の浪人を経て、英語・小論文受験で合格しました。通っている学部はSFCですが、本キャンの受験経験があるので、本キャンの小論文の解答解説をメインで書いてます!

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