合格体験記

【合格体験記】慶應義塾大学 総合政策学部(2019年入学)#2 – 後編

慶應義塾大学SFC 合格体験記

慶應義塾大学総合政策学部2019年入学のHiroです。前回の記事では、受験に全敗した現役時代の失敗事例を、具体的にお話ししました。それを踏まえて、本記事では1年間の浪人時代を通じて、慶應義塾大学総合政策学部に合格するに至るまでの、学習方法や過ごし方、併願対策をお話しします。

小論文マスタープログラム

浪人時代の受験校と併願対策

まず、浪人時代の受験結果をお伝えします。

慶應義塾大学 経済学部    不合格
慶應義塾大学 総合政策学部  合格
慶應義塾大学 環境情報学部  不合格
青山学院大学 社会情報学部  合格
法政大学 経営学部      合格
明治学院大学 法学部     合格
成城大学 経済学部      補欠合格
日本大学 経済学部      補欠合格
東京経済大学 経営学部    合格
産業能率大学 経営学部    補欠合格

浪人時代は早稲田は受けず、慶応に絞って対策をしました。現役時代は併願校を同じレベルで選んでいた、いわば“横に”選んでいたのに対し、浪人では“縦に”受けることにしました。

浪人中は併願校のことは全く考えず、慶応経済のことしか考えていませんでした。「最終的にどこの大学に行くか」ではなく、「慶応経済に受かるか落ちるか」という価値基準で動いていました。慶応経済に受からないのであればあとはどうだっていいという信念で、とにかく慶応経済の対策だけに集中しました。

とは言っても、最悪落ちたとしてもSFCには最低でも行きたいなとは思っていました。夏くらいからSFCの合格は確信していたので、「SFCは滑り止め」と周りに大口を叩いていました。なので、これで落ちたら恥ずかしいと思ったので、そういう意味でもSFCのことは考えていました。

慶応の経済・総合政策・環境情報は行きたいと思いましたが、それ以外には心底興味がなかったので、残りの併願校は塾のチューターの人に選んでもらいました。マーチ以下の大学の対策に時間を取られたくなかったので、マーチの中でも「穴場」と呼ばれる、合格するのが比較的容易な学部を選んでもらいました

併願校の学部がバラバラなのはそう言った理由です。本当に慶応しか眼中になかったです。過去問も慶応以外はやらなかったです。その結果、成城・日大・産能は補欠合格でしたw

言い訳に聞こえるかもしれませんが、日頃早慶に照準を合わせて勉強していたので、レベルの低い大学の出題だといつも通りにできなかったです。というのも、「なんでここ聞いてくるの?」、「これ読解関係ないじゃん。知識だけで片付くじゃん。」といった問題が多く、“やりきった感”みたいなものがなく空回りしていました。本番の正答率も、マーチや慶応の方が高かったと思います。

マーチに関してはいちばんリラックスして取り組めました。全部の問題が標準的で、勉強をちゃんとした子が欲しいんだろうなというのがとても伝わってくる入試問題でした。

そして慶應義塾大学に関しては、入試日が経済→総合政策→環境情報の順番でした。

まずは経済学部。これに関しては純粋に実力が足りなかったです。浪人中いちばん気合いを入れていた英語の試験でやらかしました。自分は今までこの日のためにやってきた、英語の過去問も8割切らなかったし、本番も8割はマスト、いや周りは東大落ちばっかだから9割はざらに取ってくるだろう、9割は確実に取りたいな、などと異常な気合いを入れたせいで空回りしたんだと思います。

今考えれば1年間同じやり方を徹底して訓練して極めたのにも関わらず、本番でやり方を変えてしまっていました。それは落ちて当然です。設問がくるたびに「ここで落としたくない。確実に取りに行こう」と考えてしまい、一問一問に時間をかけすぎました

当初の予定では「大門1(20分)+大門2(20分)+大門3(20分)+和文英訳(10分)+自由英作文(25分)+余り(5分)=100分」でしたが、実際は大門1の時点で30分使ってしまい、その後焦って飛ばし読みをしてしまいました。結局、内容が全く頭に入ってこなくなり、設問を見ても解答できず、また読み直すという最悪の状態になりました。死ぬほど対策した自由英作文も白紙で終わりました。その後の数学と小論文の試験もそこそこにこなし、ずっとSFCのことを考えていました。この日から「自分はSFCに行く運命だったんだ。」と思うようになり、SFCが第一志望になりました。

そして、慶応経済の試験に失敗したことで、いい意味で吹っ切れて、「別にどうなってもいいや。とりあえず目の前の試験をいつも通り解けばいいっしょ。」というメンタルになり、その次の日の青学の試験も無心で解き切りました。時間配分とかも気にしなくなったので、特に時計を見ることもなく淡々と解いていました。

その後、総合政策の入試日がやってきました。この日は特に落ち着いていました。塾に行く感覚とさほど変わりはなかったです。受験会場についても吹っ切れていたので、周りの受験生をみて「こいつらバカそうだな。やっぱ経済学部とは受験者層が違うな。こいつら相手なら余裕で勝てそうだわ。」と思い、とてもリラックスして本番に臨めました。

本番はとにかく楽しかったです。やはりSFCの英語は試験時間が120分とかなり長いので、時間の圧迫感がなかったです。時間を気にせず、大好きな英語に没頭することができました。ゆっくり丁寧に読んで、段落ごとにメモを取り、文章の内容を図解してまとめたりしていましたが、マークシートを塗る時間を含めて10分程度余りました。

これは確実に受かったと思いました。練習で過去問をやっている時よりも手応えがありました。なんだか嬉しすぎて、小論文までの休憩時中ずっとニヤニヤしていたと思います。実際に合否結果が出てから自己採点をしましたが、採点方法には色々な説がありますが「空所補充:2点、内容一致:6点」の採点方法で採点すると、176/200点でした。過去問よりも点数が高く、本番で最高記録を更新しました。

そして次の時間の小論文も、英語がうまく言ったこともあり、とてもいい状態で取り組めました。小論文に関しては、1年間やってきた内容と重複していて書くことが元から決まってた内容と、その場で考えて答えを出した内容が、ちょうど半々くらいでした。その場で考えた内容も、さほど難しい内容ではなかったので「どうせこの問題では差がつかないだろうな」と思いながら淡々と題意を満たしていきました。総合政策学部の試験で圧倒的な手応えがあったので、合格を確信しました。周りにも「総合政策受かったわ。」とまた大口を叩いていました。

次の日の環境情報学部の試験には行こうか迷いました。総合政策以上の結果を出す自信がなかったのです。環境情報の方もちゃんとやろうという気持ちで取り組みましたが、あまりうまくいかなかったです。英語も自己採点してみましたが156/200点と、総合政策より大幅に点数が下がってしまいました。「内容一致は絶対満点とれ」と予備校の先生に言われていましたが、結局15/20問しか取れず、5ミスもしてしまいました。小論文もあまり集中できず、問題の意図もよくわからなかったので、題意に沿わず書きたいことを書いてしまいました。環境情報学部は落ちて当然の出来だったと思います。

これらのことがいろいろあり、結局、慶應義塾大学総合政策学部に進学することになりました。浪人時代を振り返ってみると、この結果は当然のように思えます。英語と小論文しかまともに勉強してなかったと思います。

ただ後悔はありません。やはりSFCは自分に合っていると思います。今の生活も好きなことしかやってないので、本当にストレスフリーで生きています。みなさんには、辛いこともあるかもしれませんが、一生に一度しかない“受験生”という立場を全力で楽しんでほしいと思います。思えば僕も受験生を存分に楽しんでいました。不安なこともありましたが、毎日ワクワクしていました。知的好奇心を常に刺激されている感じでした。楽しかったから1年間も続いたのだと思います。みなさんも是非楽しんでください。

学習スタンス:完コピすることで成績が軌道に乗る

それでは浪人時代の具体的なエピソードを話していきたいと思います。

浪人時代は「城南予備校」で過ごしました。「英文論理読解α」、「最難関大速読英語演習」、「慶応大小論文」、「現代文β」、「古文購読」を受講していました。クラスのレベルでいうと、英語は最上位クラス、現代文・古文は真ん中のクラスでした。

城南予備校を選んだ理由は三つありました。

①自分が現役時代に通って受験に落ちた河合塾では絶対に浪人したくなかったということ

②場所が家から近かったこと

③僕の親友が現役時代に城南予備校に通っていて、早稲田大学商学部・社会科学部に現役合格していたこと

全く同じ先生の授業を受けて、同じように努力すれば自分でも受かるんじゃないかと思いました。小学生の頃から彼を知っていますが、その親友も元から頭がよかったわけではなく、頭のスペックは自分と同じくらいだと思います。その子が現役で早稲田商・社学に受かったと聞いて、現役時代の不合格は自分の努力不足だと確信しました。

彼の存在がなかったら、「自分はこんなに努力したのに受からなかった、悔しい」などとほざき続け、自分を正当化し続けていたと思います。そして彼からできるだけ多くのことを聞き出し、徹底的に真似しようと決意しました。浪人時代は常に彼のことを考えていました。彼だったらこういう時どうするだろう。彼は何時に起きていたのか。電車の中ではどう過ごしていたか。徹底的に想像し、その通りに遂行しようと考えていました

憧れの人を徹底的に完コピしてみるということは、スポーツや音楽だけでなく、受験勉強においても大事なことだと思います。すでに自分より先を行っている人の行動の中には、その人が自分の先を行く理由というものが隠されていると思います。まずは自己流は捨てて、自分より優れている人を完コピし、その中である種の「型」を見つけ、ある程度軌道に乗ってきたら自己流でアレンジするというやり方がいいと思います。

自分がまだ未熟なうちに自己流に走ると、それこそ現役時代の章で紹介した「不合格者ワールド」に埋もれることになりかねません。最初に軌道にのるということが一番大事です。何を始めるにあたっても、一番難しいのは「離陸」です。しかし、一回飛び立ってしまえばそのあとは楽に飛行できるものです。基盤がかたまり、きちんとしたフォームで離陸することができれば、そのあとやるべきことは自ずと見えてきます。とにかく離陸にこだわってください。早慶とマーチを分けるのもこの「離陸」だと思っています。マーチは離陸できていなくても、断片的な知識で十分合格点に乗ります。しかし早慶はバキバキに固まった基盤がないと、確実に合格点には届きません。

早慶とマーチはランクが一個違うだけという認識の人も多いですが、僕は天と地ほどの差があると思っています。一度離陸を経験した人は、その後さらなる高みへと飛び立ちます。離陸できず地面を這いつくばっている人間との差は開いていく一方です。地頭のいい人間はこの離陸がうまいのです。だから結局早慶以上の大学に行くと地頭がいい人間が多い傾向があります。しかしこれは、地頭の悪い人間には離陸ができないというわけではありません。離陸を経験し、結果を出した人を完璧に真似れば、離陸を経験することができると思います。僕はそうやって離陸を経験した人間です。浪人して初めて離陸を経験し、いかに現役時代に地面を這いつくばっていたかを思い知らされました。一度離陸してしまえば、楽に学力は上がる一方です。逆に離陸できず地面に這いつくばっていると、苦しい上に学力は一向に伸びません。とにかく最初の基盤を徹底的に作り、出来るだけ早い段階で離陸してしまうのが圧倒的に楽です。

直前期に頑張るという人が多いと思いますが、それはいかにそれまでやってこなかったかの裏返しだと思います。1学期と夏休みに死ぬ気で基盤を固める。そして2学期以降は淡々とやるべきことを遂行する。こういう人間が最強だと思います。2学期以降は勝手にモチベーションが湧き出てくるので特に頑張ろうとしなくても勉強は続けることができます。いかにやる気の出ない1学期や、怠けがちな夏休みに基礎を固め続けるかで勝負が決まります。そのいちばん簡単な方法が結果を出した人の真似をするということなのです。

それでは浪人時代の1年間のエピソードを具体的に話していきたいと思います。

浪人時代4月〜夏休み:現役時代と全く違う道を歩むことに対する戸惑い

大学受験_英語学習大学受験_英語学習

英語の取り組み方

浪人時代に入塾した城南予備校では、現役時代に多少勉強していたこともあり、英語のクラスは十五人の最上位クラスになりました。ギリギリで真ん中クラスに滑り込んだ河合塾の時とは大違いでした。最上位クラスの人が十五人とかなり少なかったため、塾内ではスーパーエリート扱いされていて当初は気分がよかったです。しかし、いざ授業が始まってみると、あまりの緊張感に押しつぶされそうでした。

まず一つに、先生があまりに厳しかったこと、もう一つに、周りの生徒のレベルがかなり高かったことでした。その先生というのは、幻と呼ばれる慶応SFCの一期生であり、自分を奮い立たせるために当時倍率30倍で早慶の中で最も偏差値の高かった慶應義塾大学総合政策学部一本で勝負し、滑り止めは一校も受けなかったらしいです。本当にバケモンだと思いました。そんな受験地獄を勝ち抜いてきたということもあり、生徒に要求するレベルがめちゃくちゃ高かったです。とにかく厳しかったです。

そして周りの生徒もみんな一流の進学校からきている子達で、正直最初は萎縮しました。しかしその反面それがモチベーションにもなりました。「中堅私立の奴が進学校の奴ら全員抜いて1番になったらかっけえだろ」と思っていました。その時から「絶対英語のクラスで1番になる」と決意しました。明確に順位が出ていたわけではありませんが、感覚的にはクラスの中で真ん中くらいだったと思います。英語の先生が授業中に発言を求める先生だったので、クラスメイトの大体のレベルがわかるようになっていました。

これまで現役時代に1年間勉強してきてその1年で終わると思っていたので、またもう1年勉強しなくてはならないと思うととにかく辛かったです。勉強なんてやりたくないと思いました。でもクラスの奴らに負けるのはもっと嫌だったので、最初の方はずっと英語だけ勉強していました。城南予備校には音読自習室があったので、ずっとこもってひたすら音読をしていました。英語の授業は火曜と水曜の週2回だったので、水曜の授業が終わってから次の火曜日の授業まで、毎日ひたすら音読をして復習しました。

周りに負けたくなかったというもありましたが、それ以上に英語の先生が怖かったから頑張っていたというのが大きかったです。先ほど言った通り、授業中に発言を求める先生でした。その発言により、生徒がそれくらい復習しているのかというのがすぐにバレてしまいます。英語のあらゆることに発言を求められたので本当に何もかもがバレていたと思います。

訳が取りにくい文章をいきなり名指しで

Hiro君、この文章訳して?

と言われて、もたもたしていたり、つまずいたりすると、

遅い。もういいよ!

とか

この構文前回も出てきただろ!なんで復習してねえんだよ。

などと言われました。なので、みんな必死に先生の求めるレベルに食らいつこうとしていました。

最終的にクラスメイトとは仲良くなりましたが、仲良くなったきっかけは「みんなで協力して先生を怒らせないようにしよう」と、一人の子が言い始めたことがきっかけでした。みんなで授業の30分前に集まって、その日のテキストの予習で出てきた「ここは先生が聞いてきそう」という箇所について議論し、意見をまとめたりしていました

仮に分からなかったとしても、ただ「分からない」で片付けるのではなく、自分たちの知識を振り絞って「ここからここまではこういう解釈をすることができたけど、ここの箇所がイマイチ分からなくて、仮説としてはこうなんじゃないか」と発言できるようになりました。「単語がわからない」、「訳すのが遅い」、「頭を使って本質を考えない」というのがいちばん嫌われたので、それだけはしないようにしようと常に心がけていました

5月くらいからは、予習の段階で10回ほど音読をして、95%くらいは人に説明できるような状態に仕上げていました。とにかく怒られたくなかったです。このような姿勢は現役時代とは大きく違う点だと思います。現役時代は、予習は普通に文章を読んで設問に答えて終わりという感じで、「受動的」な授業の受け方をしていたと思います。河合塾では、授業中に当てられることもなく、特に厳しく何かを言われることもなかったので、本当にそれなりにやっていただけだったのだということに、この時気づかされました。

「アクティブラーニンング」と巷では言われていますが、その意味がわかりかけた瞬間でした。本当に、アクティブになって、必死に食らいついていかないといけない状況でした。モチベーションどうこうではなくて、本当に危機感で動いていました。また先生に厳しくかつ具体的に叱られることで、それまで自分の実力に慢心していましたが、それが綺麗になくなり、真に客観的な視点を持つことができるようになりました。

先生は

君たちみたいにそこそこ優秀な子たちには、プライドが邪魔をする。

とよくおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思いました。自分に対するハードルが圧倒的に高くなり、本当に自分に対して厳しくなりました。

僕は中堅私立高校の出身なので、周りのレベルが低かったこともあり、高校の中ではトップレベルで勉強ができました。それに満足してしまっていたのです。河合塾でつるんでいた友達の中にも優秀な子はいませんでした。十五人の友達の中で、自分はトップ3には入っていたと思います。それだけで自分が優秀だと勘違いしてしまうのが人間なのです。井の中の蛙状態になっていました。

本当に慢心というのは怖いものです。とにかく環境にはこだわってください。環境から受ける影響は半端じゃないです。周りに置く人間のレベルは常に意識してください。僕は浪人時代「バカと喋ったらバカが移る」という考えのもと、自分より明らかに勉強ができない人間とは一言も喋りませんでした。ここまで行くと極端ですが、それだけ徹底してこだわるべきものなのだということを覚えておいてください。

数学の取り組み方

数学に関しては「標準問題精講」をずっとやっていました。ただ、そこまでコミットはしていなかったです。とにかく英語をやっていました。英語の音読の休憩に数学をやるという感じでした。数学はもともと好きだったので、楽しかったです。金曜日はレギュラーの授業が何もなかったので、何からも追われずに朝からひたすら数学をやる金曜日は最高でした。

小論文の取り組み方

小論文に関しては、浪人していちばんの衝撃を受けました。

現役時代は、「小論文は、とりあえず課題文をさらっと読んで、それに賛成か反対するもの。個性ある回答をした方がいい。勉強しかしてこなかった頭の固い奴らより面白いこと書ける自信あるわ。」という考えでした。しかし、これが「落ちるやつあるある」でした。これは、浪人して小論文をしっかりと本質から教えてくれる先生に出会ってから初めて知りました。

その先生は「小論文の本質は読解である。書く練習を一度もしなくても、読みが正しければ合格点には届く。とにかく書きの練習は二の次だ。正確に読めるようにすることが最優先。」という考えの人でした。

最初は何を言っているんだ。「小論文なんだから書きの練習こそすべきだろう」と思いました。しかし、その先生の授業を聞いていくにつれ、いかに今まで自分が浅はかな読解をしていたかを思い知らされました。その先生は「正確な読解ができていれば、書くべきことは自ずと見えてくる。何をかけばいいかわからないうちは読解が甘い。」とおっしゃっていました。

それに加えて、授業の中で扱ったテキストの解説で、

この課題文に対して賛成派で書くのと反対派で書くのでは、満点の点数が違う。反対派意見の満点回答が10ならば、賛成派意見の満点は8だ。この文章には明確な矛盾点がある。それを見抜いて、反対派で書くべきだ。求められているのは、長く難解な課題文を読みこなすだけの読解力があるかである。小論文には明確な解答がある。大学教授が見抜いてほしい問題点というのが、必ず課題文の中にある。そして、その問題点というのは、どの学部のどの年度においても一貫していて、ワンパターンだ。

とおっしゃっていて、それに僕は感動しました。

そう言われてからテキストの課題文を読み返してみると、確かに明らかに矛盾していることがわかりました。表層的な言葉だけをなぞるような読解では絶対に気づくことができなかったと思います。そしてワンパターンな問題点というのも、授業の回数を重ねるごとに理解していきました。そのワンパターンな問題点というのは「近代性の否定」でした。毎回出題のされ方は違うものの、本質で聞かれていることは一貫しているということです。

それは現代文にも言えることです。現代文も小論文と同じ先生に習っていたので、先生のエッセンスを常に取り込むことができました。現代文の方がその傾向が顕著であるように思えます。「現代文は1年も勉強すると飽きる」おっしゃっていましたが、本当にその通りだと思います。それだけ同じことしか書かれていないです。

小論文に話を戻しますが、小論文の勉強は、先生に言われた通り、とにかく読解の練習をしました。テキストの復習だけをとにかくやりました。テキストは90年代のSFCの過去問がメインでした。本当に死ぬほど難しかったです。文章のレベルが異常なほど高く、こんなに難しい日本語を読んだことはないと思いました。そして、文章が難しいうえに、分量もめちゃくちゃ多かったです。ページ数でいうと15ページくらいでした。

「書く練習は二の次だ」言われたから書く練習をせず、読みの練習に徹底したというのもありますが、単純に読解のレベルが高すぎて、読み切るので精一杯でした。ただこれをしっかりやれば受かるんだという希望も見えてきました。他の塾に通っている友達の小論文のテキストを見せてもらいましたが、圧倒的に簡単に見えました。他の奴らが理解できないレベルでやっているというのがまたモチベーションになりました。

読解の勉強も英語と同じく音読をメインで行いました。読解はインプットだと思ってやりました。1回音読すると1時間半くらいかかり、かなり頭に疲れがくるので、1日1回だけ音読をするという勉強をしていました。また先生の書いた解答例も音読していました。というのも、課題文の内容がワンパターンで、見抜くべき問題もワンパターンなので、当然記述すべき論述もワンパターンになります。なので、先生の解答例を自分の中にためておけば、実際に小論文を書くときになったらそのまま使えると思いました。

とにかく正確に課題文を読めるようにすることを、最大の獲得目標にしました。

夏休み明け〜直前期:基盤を最後まで固め続けた

英語の学習英語の学習

英語の勉強方法

英語に関しては、2学期から「インプット:アウトプット=5:5」になっていきました。9月からレギュラーの授業はテストゼミ形式になりました。そのテストゼミは、先生が独自に用意した問題であり、難易度はえげつなかったです。1学期あれだけ厳しかった先生も、

テストゼミは0点とっていい。でも復習で完璧にしろ。

と、珍しく“できなくてもいい”と言っていました。流石に0点はなかったですが、12点とか24点とかはありました。本当に難しかったです。

2学期は、1学期のテキストの復習とテストゼミの復習を半々くらいでやりました。1学期と同様、復習は徹底的にやりました。授業の書き込みのある長文で、感覚値なので正確ではないですが、40回くらい音読をして「流石に頭に入りきった!ほぼ完璧!」という状態になったら、それが本当に完璧かを確かめるため、何も書き込みのない白文を使って、音読をしながらその書き込みを再現し、そして何も見ずに解説する、という勉強をやりました。

これは先生に絶対にやらなきゃいけないと言われた訳ではありませんが、授業内で

白文使って人に説明するように音読するっていうのもやってみたら?

と言われ、またその先生の元教え子である慶応経済の学生チューターも「白文で本当にできているか確認するのがいい」と言っていたので、白文でやってみることにしました。後から考えてみても、この勉強は本当に良かったと思います。

「もし完全に再現できなかったらどうしよう」、「抜けがあったらそれは覚え直さないといけないよな」、「自分ができていないのを目の当たりにするかもしれなくて怖いな」などと不安になることもありました。だからこそ、その不安を払拭すべく、白文に入る前の書き込みありの音読の段階で、「完全に覚えきる」というつもりでやりました。これもアクティブラーニングだったと思います。書き込みありの長文の音読がゴールになってしまうと、「何回でも確認できる」という意識になり、「覚えないといけない」という義務感を感じることがないので、受け身になりがちです。なので、何を覚えるにしても「アウトプット」の機会を設けておくと良いと思います。

テストがあるという意識を持ってインプットすると、内容の定着率が上がるらしいです。これはメンタリストDaiGoが言っていたことですが、それは感覚としてもかなり実感することができました。

(書き込みのあるテキストの音読)

(白文で書き込みを再現しながら音読)


これを直前期までひたすら繰り返していました。このサイクルが一度終わったテキストでも、何度も繰り返しました。

「(書き込みあり)音読40回 → (白文)音読2回」というセットを、全講義分4周くらいしました。とにかく自分の基礎はここにあると考え、過去問等のアウトプットで思うように点数が取れなかったとすれば、それは授業の復習に抜けがあるからだ、と考えていました。この判断は正しかったと思います。

過去問に取り組んだ後、毎回なぜミスしたのかを分析しましたが、分析して結果的に分かった原因はほぼ全て、「知らなかった」ではなく「授業で習ったのにも関わらず、それを体現できていなかった」でした。基盤の構築は本当に徹底してやっていたと思います。「原点に帰る」というのを最後まで忘れなかったです。

そして、この判断が正しかったというのは自分が最終的に受かったからという理由だけでなく、周りをみても、受かった子たちはみんな揃って復習を徹底していました。逆に、復習を軽視し、過去問に重きを置き、点数に一喜一憂していた人たちは見事に落ちていきました。やはりここでも「当たり前のことを、誰よりも当たり前にやる人間が強い」と実感しました。

英作文への取り組み

また英作文も9月から始めました。英作文は一人一人個別で添削だったので、先生と1対1の10分程度の時間は本当に怖かったです。

最初はボロカスに言われました。

なんでhave an influence toなんだよ、onだろ!お前は基本を舐めてるよ。

なんでthat is why,って”,”打ってんだよ。Whyの後ろは名詞の塊だからカンマ打っちゃダメだよ。日頃からカタチにこだわってないから、こういうことやるんだよ!

などと言われました。語法や文構造のミスは許されませんでした。

おそらく知らない人が多いと思いますが、先生の授業の柱は「情報構造」でした。その情報構造を使って、完璧にネイティブレベルの英作文を書かせたかったのだと思います。僕も最初は叱られる一方でしたが、毎回指摘された箇所を直していくうちに、

君センスあるよ。成長早い。かなり仕上がってきたじゃん。

と褒めてもらえるようになりました。先生は英作文にはかなり厳しく、毎年最後まで”OK”がもらえないまま入試を迎える人がほとんどだそうです。

先ほど少し話題に出した慶応経済の学生チューターも最後まで”OK”はもらえなかったみたいです。しかし、僕は10月の終わりには”OK”をもらえました。たまたまよく書けたというのもあると思います。それでもOKをもらえたことは、確かなモチベーションとなりました。さらに、先生は僕の英作文を見て、

教え子の中でいちばんできたやつ、浜松医科大行ったやつなんだけどさ、そいつの英作文って半端じゃなかったんだよ。でも、このお前の英作文、そいつのと比べても遜色ないよ。この時期でこのレベルは順調だよ。この調子で頑張れ。

と言いました。死ぬほど嬉しかったです。自分のやってきたことは間違ってなかったと思いました。

単純に嬉しかったからモチベーションが上がったということに加えて、この「できる奴」ポジションをなんとか死守しようとしました。英語では絶対に誰にも負けない。常にそう自分に言い聞かせていました。周りからの目も気にしていました。英作文で合格をもらったことが広まったせいで、「Hiro君は英語がバケモノみたいにできる」と周りは噂していました。なので、自分が中途半端な結果を出して、周りに「たいしたことないね」と思われるのをいちばん恐れていました。恥をかかないために、何がなんでも結果を出さないといけないと思いました。恥を書きたくないというモチベーションがいちばんの原動力になっていたかもしれないです。

過去問への取り組み

次に過去問に関してですが、過去問は9月から徐々に始めていきました。先生には

傾向ではなくレベルで選べ。最上位校の過去問を片っ端から、死ぬほどやれ。そして分析をしろ。なぜ満点を取れなかったのかを考えろ。

と言われていました。9月の時点で実力もまともについていない状態で過去問をやるのは怖かったです。ただそのことについても先生は言及していて、

怖いからと言って過去問を始めないのは負けパターンだ。

と言っていました。なので、勇気を振り絞ってやろうと思いました。

ただ時間の問題がありました。授業の復習が少し遅れ気味だったので、あまり過去問に避ける時間は多くなかったです。90分フルで過去問をやり、答え合わせ・分析まで含めると3時間は少なくとも必要でした。1日のうち3時間も過去問に割く時間はなかったので、毎日大問を1問ずつやっていくことにしました。

第一志望の慶応経済の過去問はフルで通しでやりたいと思ったので、早稲田の過去問を毎日大問1題ずつやっていくことにしました。学部は政治経済学部・法学部・文化構想・教育を7年分くらいやりました。この学部を選んだ理由は気分です。特に思い入れはありません。強いていうならば、これらの学部は威厳があるように感じました。政経は早稲田の看板であり最難関、法は圧倒的に厳しい時間制限、文化構想は脱文挿入が情報構造の理解を問う良問、教育は問題作成をしている教授が情報構造のスペシャリストであるため授業の内容がドンピシャで当たる、と言った感じでした。

とにかく朝、塾に着いたら、早稲田の過去問を1題解くという習慣をつけました。少し眠いと思っても、半分吹っ切れたような気持ちでルーティーンをこなしました。最初はやはり時間が全然足りませんでした。早稲田政経では、長文1題に20分程度しか時間がかけられません。しかし、12月に入るまでは、平気で40分とかかかっていました。ただこれに関してはあまり不安になりませんでした。客観的な視点をもって、なぜ時間が足りないのかというとを分析できていたと思います。また、早稲田は受けないつもりだったので気がラクでした。

浪人中は1年間を通じて色々なことに吹っ切れていたと思います。淡々とやるべきことを遂行していました。感情の起伏はほとんどなかったと思います。感情に揺らぎが生じるのは、先生になにか言われた時くらいでした。この姿勢が、最後まで客観的な視点を持ち続けられた理由だと思います。

過去問の話に戻りますが、時間の問題は12月の後半くらいに解消し始めました。僕自身は普通にいつも通り読んでいるつもりだったのですが、時間をみてみると目標時間の1分オーバー、3分オーバーと言ったように時間はオーバーしてしまっているものの、かなり改善が見られました。先生も

早くするんじゃなくて、早くなるんだ。

とよくおっしゃっていましたが、本当にその通りでした。なので、時間が足りないからと言って焦って読むのではなくて、常に精読を心がけてほしいと思います。

正しく訓練を積めば、いきなり読解が早くなったりするものです。そしてあまり触れていなかった正答率に関してですが、これは過去問をやり始めた時から直前期まであまり変わりませんでした。時間短縮というところだけが伸びていったという感じです。正答率は78%〜88%が多かったです。「今回は満点取れた!」と思っても意外なところをミスって結局これくらいの点数に落ち着くということが多かったです。直前期に慶応経済・慶応総合政策・慶応環境情報の過去問もやりましたが、それもだいたいこれくらいでした。

過去問をやる上でとにかく意識したのは、ルーティーンワークの徹底でした。授業で習い、何度も復習で反復練習をして体現した読み方・解き方を、狂いなく遂行することを意識しました。だいたい過去問でミスをするときは、やるべきルーティーンワークが正しくできていないことが原因でした。とにかく毎日磨き続けている武器を、いかにそのまま使うかだと思っています。過去問になると急に、普段と違うやり方をする人がいますが、それでは毎日練習している意味がありません。いつも通りのことをすれば良いのです。変にモチベーションを持たない方がいいと思います。淡々とやるべきことをやればいいのです。日々の勉強が間違っていない限り、いつも通りのことをすれば結果は出ます。最後までやり方を変えないでください。

数学の対策方法

次に数学に関しては、「標準問題精講」が完成してきたので、「文系数学の良問プラチカ」を始めました。数学に関しては1学期と姿勢は変わりません。1日の大半を英語の勉強に使い、その休憩として数学をやっていました。数学に対しては、特に感情の起伏がなかったです。淡々と問題を解き続け、これ難しいな、この問題楽しいなと思う程度でした。

数学はほぼ趣味みたいな感覚でした。焦りも全く感じませんでした。別に余裕だったわけではなく、英語の実力が足りなかったので英語が最優先だと考えていました。いってしまえば、最大公約数的な考えで英語をやっていました。というのも、すべての受験校に共通する科目は英語だけだったということです。仮にめちゃくちゃできるようになるとしたら、英語がいちばん汎用性が高いということで英語を主に勉強していました。英語が夏休みまででほぼ完成して、2学期以降は英語と数学を半々で勉強するというのが理想でしたが、そこまで英語ができるようにならなかったので英語を勉強しなくてはならなかったということです。

小論文の対策方法

最後に小論文の話をしたいと思います。小論文は年内の終わりまでは1学期と同じことを続けました。とにかく読解の練習をしました。1学期から読解の練習を徹底的にし続けましたが、それでもまだ読解に対する不安感がありました。4月よりかははるかに読めるようになってきましたが、やはり授業の予習の段階で読めていると自分では思っていても、いざ授業に出席して解説を聞くと、やはり自分がまだ読めていないということを痛感しました。

この時期になると多くの人が、書くことに注力し読解がおろそかになりがちです。この時点でまだ1回もまともに文章を書いたことがなかったので、本当に大丈夫なのかと不安になりました。それでも先生は

小論文は正確な読解の上に成り立つ。小論文の本質は読解だ。徹底的に読解を訓練し、本番では正確な読解から見えた問題点について言及できれば、それがたとえ小学生レベルの文章力でも合格点には余裕で到達する。

とおっしゃっていたので、「これで落ちたら先生のせいにすればいいや」と吹っ切れて、信じて読解の練習を続けるようになりました。

本当に年が明けるまでは、1枚も小論文というものを書きませんでした。本当に読解の訓練を徹底的にやりました。読解の練習をやり続けた結果、12月の末ごろにようやく読解の基盤が出来上がってきたことを肌で感じました。それまで授業のテキストしかやっておらず、英語と違って過去問にも全く触れていませんでした。しかし年内の最後の授業で先生に

総合政策学部の’13、‘15、’16、‘17、’18の過去問をやりなさい。SFCは過去問の積み上げを受験生に求めている。年内に時間をかけて積み上げなさい。

と言われたので、年内はその総合政策学部の過去問だけやりました。

やったといっても“解く”ということはしなかったです。授業のテキストと同じ取り組み方をしました。その先生は城南予備校の「早慶大入試過去問分析」というサイトの解答解説を書いている先生で、その内容も「君たちに向けて書いている」とおっしゃっていて、普段の授業と同じ取り組み方ができるようになっていたため、非常に取り組みやすかったです。

過去問をやることに対するハードルが低かったように思います。なので、授業のテキストをやるのと同じように、特に時間も計らずに、リラックスして、過去問の正確な読解というのをとにかく徹底しました。過去問に取り組むようになって初めて、今までやってきたことの正当性を真に信じることができました。

授業のテキストで扱っていた小論文は、90年代のSFCの過去問、東大の後期試験の過去問、京大の後期試験の過去問がメインでした。「小論文入試」というカテゴリーの中でも、本当に最難関を極めるレベルのものをやっていたのです。テキストを取り組みながら、

こんなの普通の高校生じゃわからないだろ。本当に何言ってるかわからない。やばい見失った、最初から読み直さないと。

と思うことが何度もありました。しかし、それだけ難しいレベルのものでも、1年間徹底して訓練したことでマスターすることができました。そして日頃からそのレベルに照準を合わせて勉強してきたので、いざ過去問をやってみるとそこまで難しさを感じなかったのです。

レギュラーの授業で、1学期に6講、夏期講習で4講、2学期に6講で合計16もの最難関レベルを網羅的にやったため、過去問の課題文をいざ読んでみると、どこかしらでやったものに引っかかるのです。過去問をやってみて、「このタイプの文章は初めてみるな」というものは一つもなかったです。すべて言い回しや表現が違うだけで、ロジック自体はほぼ一緒で、設問で求められることもほぼ完全に一緒だったので、授業のテキストの問題の先生が書いた解答例を切り貼りしていくという感じでした。小論文という科目で満点が取れると確信しました。

こういうやり方は、「それは小論文じゃない。」、「それは自分の意見じゃないじゃないか」という批判をされそうですが、率直に言って、陳腐な個人的な主張というのは大学入試の小論文には求められていないと思っています。

個性的な受験生の発掘が目的なら、一芸入試をすれば良い話です。小論文の出題を考えてみると、あれほどまでにすべての学部・年度で課題文や設問が同じような内容に収束するのは、受験生に求めている能力というものが一貫しており、そしてそこには明確な正解があるということなんだと思います。そもそも大学で学ぶ学問とは、「先人の功績を土台にして、その上に新しい何かを見出していく行為」です。その学問というものに対する適正があるかを見ているということなんだと思います。

「小論文には答えがある」ということを覚えておいてほしいと思います。「正しく読む」ことができれば、書くべきことはその時点でわかっているということです。何を書いていいかわからないうちは、大学側が要求する「課題文に含まれる問題点を見抜く力」が足りていないということです。

SFCの一部の学部を例外として、慶応の小論文の予備校が出している解答例や赤本の解答例が同じような内容に収束するのは、それだけ課題文に明確な問題点の記述があり、それを見抜くことが求められているということだと思います。とにかく、「正確な読解」を極めてほしいと思います。大学入試の小論文という枠組みの中に限り、小論文の能力は読解力に比例します。書く力は読む力に比例するということです。「書くべきことがわかることが、読めているということ」という言い方もできるかもしれません。

過去問の取り組み

小論文_過去問小論文_過去問

そして過去問の話に戻すと、総合政策学部の過去問は、主にインプットに使いました。

具体的には、予備校のテキストと同じように、何度も音読しました。過去問をやってみて授業テキストとの重複があったとは言いましたが、やはり総合政策学部特有のものもあったので、過去問をやってみて初めて知ったことも多くありました

ただ先ほどもお伝えした通り、総合政策学部の解答例も先生が書いてくれていたので、今までやってきた「汎用性の高い近代の知」と「総合政策学部に求められる書き方」をどう繋げるかが明確でした。その解答例も、テキストと同じようにインプットすることで、「どのようにして自分のフィールドで戦えばいいのか」というのがよくわかりました。点と点が繋がるような感覚です。

経済学部の対策は授業の内容で完結していて、年が明けてから過去問をやっても新しく学ぶことというのはなかったのに対し、総合政策学部の対策は「授業の最難関小論文で得た近代の教養」+「’13,’15,’16,’17,’18の総合政策学部のインプット」で成り立っていたと思います。

やはり小論文においては、自分の軸となる考え方を持っておくことが大切だと思います。ただし、そのフィールドに引っ張ってしまうのはよくないです。何度も言いますが、小論文の基盤は読解です。課題文を正確に読み、設問の要求を正しく捉えて初めて小論文として成立するものです。その枠組みの中で、いかに自分の基盤となる知識を使うかです。当然ドンピシャに当たる年度、かする程度の年度、全くはまらない年度とあると思います。

毎回毎回思うようにはいかないものです。だからと言って、求められていないのに自分の得意分野に引っ張ろうとすると、かえって点数が下がります。小論文で落ちる人は、そもそも問いの要求に応えられていないです。要求に応えることができればまず合格点には確実に乗ります。知識とは、それを助けるためのものだという意識を忘れないでください。

生活面:勉強習慣を支えた勉強以外の習慣

最後に生活面について話したいと思います。

散々自分に厳しくということを言ってきましたが、僕自身は自分に対して極めて甘い人間です。そんな僕が浪人時代に自分を律することを助けたと思える習慣を、最後にお伝えできればと思います。

まず1つ目は、毎日決まったことをすることです。僕は浪人時代毎日同じサイクルで動いていました。毎朝決まった時間に塾に行き、夜も同じ時間に帰っていました。流石に前後30分くらいの誤差はありましたが、このサイクルを崩したことはほぼありませんでした。

多分お正月くらいだと思います。12月31日と1月1日は地元の友達と遊びました。塾にいる時間も、何時からどの教科をやるかも同じでした。それは別にスケジュールを立ててその通りに行動していたというわけではありません。

誰しもがこの時間帯にこの教科をやるのがいちばん心地いいというようなサイクルがあると思います。僕は午前中は英語の過去問1題を解く・解説を読む・分析に当て、12時半〜1時15分を昼ごはんの休憩に当て、午後は英語の音読・小論文の音読・音読が疲れた時の休憩のための数学にあてていました。そのほかは英語の先生がいる日は英作文の添削をしてもらえるので英作文に時間を当てたり、直前期は午後に小論文の過去問をやったりするくらいでした。基本的に毎日同じサイクルで勉強していたので、感情の起伏がなかったです。

2つ目は、毎日同じ服を着ることでした。高校生の時は毎日制服を切ればよかったですが、浪人生は学校がないので毎日私服でした。僕はもともと服が好きで、今でもアパレルでアルバイトするくらいに好きなので、着ている服によって感情が左右されるタイプです。ただし、このテンションの違いによって、勉強の質も変わってくることに気づきました。この感情の起伏をなくし、毎日勉強だけに集中して他のことを考えたくないと思ったので毎日同じ服を着ることにしました。いちばんストレスフリーで勉強できるのがヘインズのBEEFYのLサイズの白だったので、そのおなじ白のTシャツを12枚まとめ買いしました(もともと3枚でしたが、それでは洗濯が回らないことがあり、それを母親に文句を言ったら、母親がアマゾンでまとめ買いして増えたって感じです。「これで足りるでしょ」と言ってました)。

毎日同じ服を着ることで、無駄な思考をなくせたように思います。勉強について考えることのできる脳のキャパシティが確実に上がりました。スティーブ・ジョブズやマークザッカーバーグが毎日同じ服を着る理由が、本当によくわかりました。

最後の3つ目は、同じ休憩の仕方をすることです。勉強サイクルを同じにしたという話をしましたが、同じにするには勉強以外のサイクルも同じにしていました。毎日同じ時間に帰っては、同じ時間にアマゾンプライムビデオで映画やドラマを1時間みて、お風呂に入ってスキンケアやドライヤーをするまでを1時間で終わらせ、その後寝る前にYoutubeを1時間見ていました。

勉強面では「ストイックにやってきた」みたいな書き方をしましたが、家ではこんな感じでした。要するにオンオフがはっきりしていました。塾に行ったらガチガチに勉強し、家に帰ったらできるだけだらけるという生活でした。確実にそのだらけが、勉強のペースを崩さないための支えになっていました。人それぞれやり方はあると思いますが、毎日クールに同じ勉強を淡々と続けられる人は強いと思います。

変にやる気を出すと空回りします。入試が終わるその日までクールであり続けるのです。不安になることもあると思います。そういった感情も客観視して、やるべきことを無心でこなすことができれば、それほど強いものはないと思います。そのスタンスを保つための手段として、僕は「毎日同じ」ということにこだわりました。感情が入り込む隙をかたっぱしから消していきました。

周りを見ていても、受かった子たちは最後までクールでした。僕以上にクールだったかもしれません。そういう意味で「ドライ」になった者勝ちなのかもしれません。逆にやる気に満ち溢れている子で、そのやる気が見ているこっちにも伝わってくる、みたいな子はことごとく落ちていきました。やるべきことを忠実にこなしていってください。やる気に左右される勉強から抜け出せたら強いです。

最後に:自分のストーリーを創り上げてほしい。

おそらく共感できないことが多かったことだと思います。それは「合格体験記」だからです。受かり方というのは「受かった人の数だけある」ものです。あなたにはあなたの受かり方があります。なので、僕の話を必ずしも参考にしなくても良いです。ただし、現役時代の「不合格者体験記」の方に書かれていることは確実に避けてください。それだけは言っておきたいと思います。ぜひ僕以外人の「合格体験記」や、実際に合格した身近な人の話も聞いて、自分のやり方を確立していただきたいと思います。

何か質問があれば、オンラインサロンの方でなんでも聞くので、是非活用してみてください。

以上です、ありがとうございました。

ABOUT ME
Hiro
Hiro
慶應義塾大学総合政策学部1年。1年間の浪人を経て、英語・小論文受験で合格しました。通っている学部はSFCですが、本キャンの受験経験があるので、本キャンの小論文の解答解説をメインで書いてます!

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