この記事の目次
慶應義塾大学 経済学部2014年【問い】
設問A
イノベーションが自由市場経済に及ぼす良い影響と悪い影響を、模倣との違いに着目して、200字以内で述べなさい。
設問B
技術進歩には、改良を主体とした「積み上げ型の技術進歩」と過去の技術にとらわれない「ジャンプアップ型の技術進歩」(イノベーションを含む)が存在する。それぞれが、社会にどのような影響を与えると考えられるか。課題文のみにとらわれず、具体例を示して400字以内で比較しなさい。なお、「積み上げ型」あるいは「ジャンプアップ型」と判断した根拠も合わせて示しなさい。
慶應義塾大学 経済学部2014年【答案例】
設問A 解答例
自由市場経済におけるイノベーションは、創造的破壊のプロセスにより市場を活性化させ、経済成長を引き起こすことができる。しかし、イノベーションによる個人的利益は社会的利益よりも小さいため、革新を起こすインセンティブに欠ける。これにより、経済成長が起こらないこともある。これに対し模倣は、豊かな国から発明を取り入れるため、開発コストが小さいという優位性があり、行うインセンティブがあると言える。(194字)
設問B 解答例
まず、「積み上げ型」の場合、既得権益の支配を崩壊させることができず、市場が活性化しないため、積み上げ型単体で社会に与える影響は小さい。例えば、今日の「スマホ」の技術革新は、あらかじめ備わる機能(カメラ、スクリーンの画質、通信速度等)が改良されているという点で「積み上げ型」であり、日本においてもアップルの支配が揺らぐことはない。
一方で「ジャンプアップ型」は、創造的破壊により市場を活性化させることができる。例えば、ガラケーがスマホに取って代わられたプロセスは、まさしく「ジャンプアップ型」であり、日本においても、携帯電話の出荷台数シェア1位がシャープ(2010年)からアップル(2018年)になり、既得権益の支配が崩壊したと言える。
しかしながら、既得権益の支配は、既得権益の外の人間がイノベーションを起こすインセンティブにもなりうるので、「積み上げ型」が「ジャンプアップ型」を用意するとも考えられるのである。(396字)
慶應義塾大学 経済学部2014年【課題文の解説】
第一段落
一行目
経済成長が起こるのは、人々に新しい技術を受け入れるインセンティブがあり、将来の利益のために新技術を取り込む間は現在の消費を喜んで我慢しようというときだ。このことが長期的には、その国の潜在的可能性を実現させ、平均所得を上昇させる。(中略)
設問Aは「イノベーションが自由市場経済に及ぼす影響」がテーマであった。自由市場経済にとって「良い影響」「悪い影響」というのは、何を基準に考えるべきなのだろうか。自由市場経済とは、資本主義経済であるので、「資本の拡大をいかに効率的にできるか」といいうのが基準となりうる。そのため「市場」という観点で考えると、それは「経済成長」が価値基準となる。
これを踏まえて、一行目「経済成長が起こるのは、人々に新しい技術を受け入れるインセンティブがあるときだ」とある。経済成長は「新たな技術」が受け入れられる時に起こるものだという。これより考えるべきは、どのような条件下において「新しい技術」が受け入れられるのか、また、どのような場合に「新しい技術」が受け入れられないのか、ということである。
自由市場経済において、経済成長が起こることは「良い影響」であり、逆に、経済成長が阻害されることは「悪い影響」である。これより、「新しい技術が受け入れられ、経済成長が起こる場合」と「新しい技術が受け入れられず、経済成長が起こらない場合」について、考えてゆく必要がある。
ちなみに「インセンティブ」という言葉は、経済学における基本的な用語であり、脚注がつかないことの方が圧倒的に多いので、その都度「動機付け」と訳さずに、そのまま理解できるようにしておくことを勧める。
第二段落
四行目
しかし、技術進歩のインセンティブには厄介な問題もいくつかある。技術進歩は勝者と敗者を生む。技術進歩の鮮やかな外観の向こう側には、破壊されつつある技術と商品がある。経済成長は、同じ古い商品をますます多く生産するということと同じではない。それはたいてい、古い商品を新しい商品に置き換えるプロセスなのだ。新しい商品をつくるための新しい職(たぶん失職した人のためではなく他の人のための新しい職)が作り出されたとしても、古い商品の生産者は職を失う。例えば、アメリカでは三ヶ月ごとに仕事のおよそ五%が消滅し、新しい仕事が同じだけ生じている。古い技術に密着した既得権益は、新しい技術を妨害するかもしれない。
第一段落に引き続き「技術進歩」(第一段落では「新しい技術を受け入れる」という表現であった)がテーマとなっている。技術進歩に伴う犠牲についての記述であり、「仕事がなくなる」という理由で、技術進歩をおこなう(新しい技術を受け入れる)インセンティブに欠けるということが書かれている。
技術進歩により経済成長が起こるプロセスは、自由市場経済にとっては「良い影響」になるが、それにより犠牲を伴う者もいるということである。それはまさしく既得権益であり、既得権益にとっては、市場が変わらずそのままである方が利益を得続けることができるため、都合が良い。そのため、経済成長の条件に「新しい技術を受け入れるインセンティブがあること」とあるが、既得権益にはこのインセンティブがない。それが第二段落最終文の「古い技術に密着した既得権益は、新しい技術を妨害するかもしれない。」につながるのである。そして、新しい技術を受け入れることを既得権益に妨害されるのであれば、経済成長が阻害され、それは自由市場経済にとって「悪い影響」となるのではないだろうか。
「技術進歩により経済成長は起こるが、それによって不利益を被る者が経済成長を妨害することもある」ということをこの段落で押さえておきたい。
第三段落
十四行目
これは新しい洞察ではない。ヨゼフ・シュンペーターは、はるか昔の一九四二年に、次のように記している。経済成長のプロセスは『内側から経済構造を絶え間なく大改革し、絶え間なく古い技術を破壊し、絶え間なく新しい技術を生み出す。“創造的破壊”のプロセスは資本主義にきわめて重要な要素である。』
シュンペーターの有名な言葉である。この創造的破壊のプロセスの中に、勝者と敗者が生まれるということである。
第四段落
十九行目
彼らは、創造的破壊のプロセスはイノベーションに対するインセンティブを複雑にすると言っている。自由市場経済ではなぜ遅い歩調でしか技術革新が進まないのかについて、彼らはさらなる理由を述べている。革新者は、彼らのイノベーションに対して利益を全部得ることはできないが、それは他の人がマネできるからである。」
二十四行目「この例からもわかるように、イノベーションの社会的利益は個人的利益よりも大きい。その結果、個人は、社会的利益に相当するほど速く革新を行う動機に欠けている。特許権の保護はこの問題を解決する一つの試みではあるが、アップルの例でわかる通り、最初の改革者からの利益の流れを全てもれなくカバーする訳ではなく、非常に不完全な仕組みである。我々はこの問題を、イノベーションの専有不可能性と呼ぶことができる。
第二段落・第三段落にもイノベーションに対するインセンティブの話は出てきたが、それは既得権益側の、利益を得られなくなること・職を失うことからくる、インセンティブの無さであった。一方第四段落では、イノベーションを行う側である革新者のインセンティブの無さがテーマとなっている。
革新者はイノベーションを起こしても利益を全部得られない、という記述である。「イノベーションの社会的利益は個人的利益よりも大きい」とあるが、これは物理的に利益額が「個人的利益<社会的利益」だということではなく、イノベーションを起こした結果として、市場においては既得権益の支配が崩壊し、社会が活性化する一方で、個人で得られる利益は、他人に技術を真似されてしまうため、その技術で発生する利益が革新者に集中せず、その技術を扱う様々な個人に分散してしまうということである。すなわちこの表現の意図していることは、技術革新により社会は活性化するが、その一方で革新者にはその利益があまり還元されていない、ということである。
「その結果、個人は、社会的利益に相当するほど速く革新を行う動機に欠けている。」とあるが、この「社会的利益に相当するほど」というのは、「社会のために経済成長を起こしてあげるほど」という解釈で良いだろう。
この段落では、「イノベーションは自由市場経済に良い影響を与えるが、イノベーションを起こす者にとっては、その利益を独占できる訳ではなく、大きな個人的利益を得られないので、イノベーションを起こすインセンティブに欠ける」ということを理解しておきたい。
また、「個人的利益を得ることができない」という背景に、イノベーションを起こすためにはその技術の「開発コスト」が必要になり、十分な利益を得られないとかかった費用を回収することができず、また赤字になることもあることが、インセンティブを欠く要因になっているということも考慮すべきである。
第五段落
三十四行目
アイザック・ニュートンは、『もしも私がより遠くを見ることができるとしたら、それはただ私が巨人の肩の上に立ったからだ』と言っている。
これも先ほどのシュンペーターの言葉に続き有名な言葉である。自分一人の力で偉業を成し遂げることはできず、その土台には先人の功績があるということであり、巨人の肩というのは先人功績の比喩で用いられている。
第七段落・第八段落
四十二行目
貧しい国々は技術の発明者になりそうもないが、彼ら自身のトマス・エジソンやビル・ゲイツを生み出す必要はない。彼らには、豊かな国から発明を取り入れることによって、技術水準を引き上げることができるという優位性がある。
四十五行目
前の章でバングラデシュの衣料産業を例として述べたように、貧しい国々は先進工業国から技術を模倣することによって、すぐに飛びつくことができる。
ようやく「模倣」に関する記述が出てきた。貧しい国々においてはイノベーションを起こすことなく技術革新を起こすことができるという記述である。この模倣には、イノベーションほどインセンティブに関する難点が多くない。外国からすでに出来上がった技術を輸入するため、技術の開発コストが少なくて済むなどの優位性がある。
第十一段落
六十三行目
これは国内のパソコン産業を育成しようとする間違った試みであり、技術進歩をハイジャックする既得権益による古典的な試みであった。
イノベーションによる技術革新と同様に、現状の技術により利益を得ている既得権益が、模倣による新しい技術の導入を妨害することもあるということであるという記述である。
慶應義塾大学 経済学部2014年【答案の解説】
設問A 解説
イノベーションが自由市場経済に及ぼす「良い影響」と「悪い影響」について考える問題。自由市場経済は資本主義経済であるから、価値基準は「効率的な資本の拡大」ということになる。すなわち、「市場」という観点で考えれば、「経済成長」を起こすことができるかどうかということが価値基準になるということである。よって、イノベーションにより経済成長が起こるプロセスについて考えていくことになる。また「模倣との違いに着目して」という条件が付されているので、模倣と経済成長の関係についても考える必要がある。
課題文によれば、イノベーションと経済成長の関係、模倣と経済成長の関係は以下の通りである。
イノベーションが起こることにより経済成長が起こる。それには創造的破壊を伴い、内側から経済構造を改革する。創造的破壊は、市場における既得権益の支配を崩壊させ市場を活性化させるため経済成長が起こる、ということである。
しかしながら、イノベーションにはインセンティブに関する厄介な問題がある。それは、イノベーションにより革新者が得ることのできる個人的利益が社会的利益よりも小さいため、革新者はイノベーションを起こすインセンティブに欠けるということである。真似されることで、イノベーションによる利益を独占できないということである。これは、「イノベーションの専有不可能性」と呼ばれる。
また革新者がイノベーションから利益を得られるのは、次のイノベーションが起こるまでの期間だけなので、次のイノベーションが起こることを恐れて何のイノベーションも起こさないということもあり得る。イノベーションが起きないと、経済成長も起こらない。これは自由市場経済においては、マイナスに働く。
それに対し模倣は、豊かな国から発明を取り入れて技術水準を引き上げるものであり、自国に発明者がいなくても、すぐに最新技術に飛びつくことができる。イノベーションとは異なり、模倣には「開発コスト」がかからないので、「つぎ込んだ費用を回収することができないから」という理由で、インセンティブを欠くことはない。
しかし、模倣による技術進歩も、イノベーションと同じように、創造的破壊のプロセスを伴う。そのため、イノベーションと同様、市場を支配する既得権益に技術進歩を妨害されることもあるのである。
イノベーション
↓
創造的破壊により、既得権益による市場の支配を破壊
↓
市場が活性化して、経済成長が起こる
イノベーションによる利益(個人的利益<社会的利益)
↓
インセンティブに欠ける
豊かな国から発明を取り入れる
↓
開発コストが小さい
↓
インセンティブがある
設問B 解説
「積み上げ型」と「ジャンプアップ型」がそれぞれ社会にどのような影響を与えるかを考える問題。「それぞれの具体例とその根拠も合わせて記述せよ」という条件が付されている。
「ジャンプアップ型」は、課題文のイノベーションに当たるものであるが、「積み上げ型」に関しては、本文に記述がないので、社会に対する影響を自分で考えなくてはならない。また、設問Aとは異なり、「社会にどのような影響を与えるか」なので、必ずしも「市場」というわけではないということを押さえておきたい。
まず、「積み上げ型」と「ジャンプアップ型」の定義を明確にしておく必要がある。
「ジャンプアップ型」に関しては、本文の記述にある通り、過去の技術にとらわれない全く新しい技術を導入することで、創造的破壊のプロセスにより、既得権益の市場の支配を崩壊させ、市場を活性化させることで、経済成長を引き起こすというものであった。
一方「積み上げ型」は「改良」を主体とするものである。これは何を意味するのか。それは、創造的破壊を伴わないということである。改良というのはすでにある技術をより良いものにするプロセスであり、前提としてあらかじめその技術を持っていることが条件となる。すでに技術を持っている企業が、その技術を改良するということを考えれば、既得権益の市場の支配は続くことがわかる。既得権益の支配が存在する市場は停滞し、経済成長は起こらない。
だからと言って「積み上げ型」が経済成長を全く起こさないということではない。「積み上げ型」がイノベーションのインセンティブともなりうるのである。というのも、既得権益を有する企業が利益を独占すればするほど、その中にいない人間は、既得権益による市場の支配を崩壊させることで、利益を得ようするかもしれない。その場合「積み上げ型」が、イノベーションを引き起こすトリガーになっていると考えられるのである。
慶應義塾大学 経済学部2014年【全体講評】
(試験時間60分)
大問数・解答数 大問数:1題 解答数:2問
難易度の変化(対昨年) 変化なし
問題の分量(対昨年) 変化なし
出題分野の変化 なし
出題形式の変化 なし
新傾向の問題 なし
総評
設問はA・Bの2問。
設問Aは、課題文の読解問題。イノベーションが自由市場経済に与える影響を、模倣と比較してまとめることが求められた。200字という少ない字数制限の中で論理をまとめるためには、情報の取捨選択がカギとなった。イノベーションと経済成長、模倣と経済成長の関係を、情報に優先順位をつけてまとめる必要がある。
設問Bは、意見論述の問題である。「積み上げ型」と「ジャンプアップ型」がそれぞれ社会に与える影響を、具体例と、その具体例を「積み上げ型」もしくは「ジャンプアップ型」と判断した理由も含めて400字で論述する必要があった。設問A同様、字数制限がかなり厳しいので、情報の取捨選択が求められる。
全体として、高い処理能力を必要とする出題であった。