こんにちは!慶應義塾大学総合政策学部2019年度入学のHiroです!
今回は、前回の小論文読解講座までで学習した「ロゴス・パトス」を基盤にして、近代的主体と実存という人間のあり方について説明していきたいと思います。
ようやく今まで学んできたロゴス・パトスが活かせるようになります。今までは抽象度がめちゃくちゃ高かったと思いますが、ここから先は徐々に具体性が増していくため、より理解しやすくなると思います。ただしそれは、ロゴスとパトスがしっかりと抑えられていればの話です。
ロゴス・パトスがしっかりとインプットされていれば、このあたりからなんとなく繋がりが見えてくると思います。「点と点が線で繋がる」という感覚になっていたら、それはかなり順調だと思います。
まだいまいち繋がりが見えない人は、ロゴス・パトスの時点でつまずいている可能性が高いです。断片的で脈絡もなく“干からびた知識”のように思えるかもしれませんが、今は心を無にして覚えきってほしいと思います。
なお、今回のテーマである「近代的主体と実存」については、第2回小論文読解講座でも解説していますので、併せてお読みください。
近代的主体と実存の対比
近代的主体はロゴスだけを持つものと考えられ、パトスは切り離されます。一方実存の人間は、ロゴスとパトスの両方を持つ現実存在としての人間です。近代的主体は理性だけに支えられる、いわば機械的な人間であるのに対して、実存は理性だけでなく感性・感情といった側面を持つので、より人間らしい人間である、ということになります。
近代的主体
近代的主体はロゴスだけを持ち、パトスを排除します。近代的主体という人間のあり方が生まれた背景には、「理性主義」というものが存在します。人間が合理的・理性的なあり方をすれば社会は必ず発展し、人類には明るい未来が約束されると考えられたのでした。
今でも客観的・合理的なことが社会で求められる風潮がありますが、これは近代の名残なのです。近代的主体を前提とした組織のルールなどが、現代も依然として残っていることが現在問題となっています。
近代においては、理性的な人間(近代的主体)が理想とされ、パトスの側面は無視されていたのでした。感性や感情を持たない機械的な人間が理想とされたのです。こうして近代的主体は生まれ、人間に対する主流の考え方となり、この近代的主体を前提とした社会のルールが形成されていきました。
そして、この近代的主体にはデメリットがあります。
ロゴスのあり方を考えてみると、ロゴス=間接的・能動的・論理的・一義的でしたね。
ロゴスで他者や物事を見る時、自身のロゴスを色眼鏡にして間接的に見て、対象を理解しようとします。
例えば、偏差値で他者を見る場合を考えてみましょう。この場合、偏差値という先入観を指標にして「A君は偏差値43の人」、「B君は偏差値57の人」、「C君は偏差値69の人」というように理解しますよね。ただ、この偏差値を指標にして他者を見る時、偏差値以外の側面は考慮されず切り落とされるため、他者を完全に理解することは当然できません。偏差値43のA君が、実は心優しい少年であることは全く考慮されず、偏差値43という一義的な理解しかできないのです。
先入観や色眼鏡を通して間接的に他者を見ると、どうしても理解が一義的になるというデメリットがあります。先入観を超えた側面を理解することができないのです。これは先入観に支配されているとも言えるでしょう。他者から、自身の持つ先入観を超えるものを得ることができないため、近代的主体は成長しないあり方であると言えます。近代的主体は、自分のロゴスの外を見ることができないので、経験を蓄積することができないのです。
実存
実存とは「現実存在」の省略形であり、ロゴスとパトスを持つ現実的な人間を意味します。
ロゴス=間接的・能動的・論理的・一義的
パトス=直接的・受動的・直感的・多義的
これらの側面を同時に持つというのは何を意味するのでしょうか?端的に言ってしまえば、「近代的主体は他者からの影響を受けないのに対して、実存は能動と受動を交互に行うことで、他者から影響を受けながらアップデートして成長していくあり方」です。
近代的主体は、いわば「決めつけが過ぎる」あり方です。自分のロゴスだけで物事を考え、それ以外の側面は排除し、他律を受け入れない。一方実存はパトスで他律を受け入れ、それを自らのロゴスに組み込みアップデートしようとします。実存の人間は、経験を蓄積することが出来るのです。
実存の人間が経験を形成するプロセス
ロゴスを先入観にして他者や物事を見ます。この時点では、近代的主体と同じようにロゴスによる理解なので、一義的な理解となり、先入観を超えた側面は排除されています。
ロゴスだけの理解は一義的であるということは、対象の一部分しか見えていないということであり、まだ理解しきれていない側面があります。このロゴスだけでは理解できなかった側面は「他者の他者性」と呼ばれます。現代文では、空欄補充などで設問に絡むこともある重要な言葉です。
近代的主体の最も大きな問題は、この他者の他者性に触れることができない点にあります。他者の他者性とは「自己とは異なる、他者としての特性・固有性・異質性」という意味です。
では、なぜ近代的主体は他者の他者性に触れることができないのでしょうか?それは、近代的主体のロゴスによる理解は、自己の先入観に支配されており、ロゴスを持って他者を理解しているように見えて、実は自己の内部を参照しているだけであって、他者を真に見つめているとは言えないためなのです。
他者の他者性は、パトスでのみ触れることができます。というのも、ロゴスの理解というのは自己の先入観による支配であるため、ロゴスで理解できるものというのは“想定内”のものであり、他者の他者性ではありません。他者の他者性とは、“予想外”の他者の側面であり、また他者が他者たり得る所以なのです。
「ロゴスで先入観を持って他者を見て、その先入観を超えた予想外の側面(他者の他者性)にパトスで受動的に感じる」、というプロセスを覚えておいてください。
そして、パトスで感じ取った他者の他者性を、自らのロゴスに組み込むことでロゴスがアップデートされ拡大します。これが「経験の形成」というものなのです。
普段人間はこのようなプロセスを経て“経験”というものを自己の中に蓄えることができるのです。あまり意識したことがないかもしれませんが、大抵の人は実存の人間として現代社会を生きているのです。
ロゴスだけでは理解できなかった側面(他者の他者性)を、パトスで感じ取り、その感じ取った新たな側面をロゴスに組み込んで、アップデートするのでした。そのアップデートしたロゴスをもってまた他者を見ると、今度はまた新たな他者の他者性があリます。
その他者の他者性をパトスで受け入れ、同じようにロゴスに組み込み、ロゴスの次元を拡大していくのです。これを繰り返してゆくことで、経験の形成が可能になり、物事への理解が深まっていくのです。
ロゴスとパトスを交互に使い、パトスで他者の他者性に触れては自己のロゴスに組み込み、またロゴスで他者を見て、、、というのを繰り返し行うことを「相互交渉」と言います。「実存の強みは、相互交渉により理解を深め、経験を蓄積すること」だということを、しっかり覚えておいてくださいね。
近代的主体と実存のポイント
それでは、近代的主体と実存のポイントをまとめましょう。
近代的主体の特徴は、以下の通りです。
近代的主体
ロゴスによる一義的な理解しかできず、それは先入観に支配されたものであるため真の理解とは言えず、またパトスを持たないため他者の他者性に触れることはできず、相互交渉のプロセスを含まないので、経験の形成ができずロゴスの次元が拡大することはありません。
一方、実存の人間の特徴は、以下の通りです。
実存の人間
実存の人間は、ロゴスだけでは理解できない側面、先入観を超えた側面(他者の他者性)にパトスで触れることができ、そのパトスで受け入れた側面を自らのロゴスに組み込むことができるため、経験の形成を可能にし、ロゴスの次元を拡大することが出来るのです。
まとめ
以上になります。ロゴスとパトスを徹底的にやったのは、この近代的主体と実存の話をきちんと理解するためでした。ロゴス・パトスという概念が少し具体化されたので、なんとなくわかってきたという人もいるかと思います。
毎回毎回言っていますが、この回も何度も復習してものにしてほしいと思います。たまごみたいな人間の絵も自分でペンを持って描いてみてください。僕自身もこの相互交渉の図を何度も裏紙に書き殴って自分のモノにしました。
本当にこんなことやっていて大丈夫なのかな?
周りの友達で主体とか実存とかやってる友達いないんだけどなぁ…
と思うかもしれません。僕も受験生の時はそうでした。もう少し知識の基盤が出来上がったら、実際の過去問も並行してやっていきます。その時に“近代の知識の必要性”を実感してみてほしいと思います。
少なくとも、実際の最難関大学の小論文の出題を考えてみると、大抵の問題は「近代的主体をやめて実存として生きるべき」という主張に収束しており、大学教授も近代性の理解を受験生に求めていると思います。最後まで自分を信じてやりきってほしいと思います。
次回は「従属主体化について」話そうと思います。