【大学別】小論文の過去問分析

慶應義塾大学 環境情報学部1995年 答案例・詳細解説

慶應SFCインテンシブコース

慶應義塾大学 環境情報学部1995年【問い】

問1

文章Aの図1−4「漢字の構造記述」のX1、X2、X3、X4にそれぞれ該当する漢字を答えよ。

問2

この二つの文章から五つ程度のキーワードをつくり、その関連性を図解しなさい。

問3

この二つの文章をあなた自身の視点から考察しなさい。その際に
⑴考察内容にふさわしい「題名」をつけなさい。
⑵考察内容を1000字で書きなさい。

慶應義塾大学 環境情報学部1995年【解答例】

問1

X1:吉
X2:国
X3:串
X4:事

問2

慶應義塾大学環境情報'95 小論文問2

問3

⑴『情報社会における複雑性と問題解消の意義』


 文章Aと文章Bに共通するのは、どのようにして複雑性=問題に対処するか、という点である。文章Aによれば、情報の要素間の関係規則を見出すことで、主観的に複雑さを低下させることができるという。(これを方法1とする。)文章Bによれば、自らの思い込みの中にある制約を取り除き、将来におけるより良い状態を目指すことを問題解消と言う。(これを方法2とする。)
 複雑性とは、①要素の数の多さ、②要素の種類の多さ、③乱雑さによるものだと文章Aにあるが、これらは、今日の情報社会の特徴そのものではないだろうか。そこで、今日の複雑な情報社会=情報環境への適応という観点から考察を進めたいと思う。
 今日の情報社会における情報というのは、膨大で複雑なものになっているため、情報を主観的に加工することなくありのままの状態で処理することは不可能であるように思える。断片的な情報に脈絡を与え、情報間の関係性を主観的に見出し、複雑さを下げることが必要不可欠である(方法1)。そのためには、自らの実存に基づく経験知が必要であり、自身の意思決定を主体的に行うことが求められる。自己の中に経験を蓄積しない生き方を取るのであれば、大量の情報を自らの主体に基づいて処理することができなくなり、情報に支配され、主体性を喪失することになるだろう。
 そもそも情報社会というのは、人間の生活をより豊かにするために、人間が創り出した人為的な環境である。しかしながら、今日の状況は、人間が情報社会に支配されてしまっている。我々が実存の人間として、主体的に意思決定を行うためには、この「制約」を取り払って、実存の人間の公共性を拡大させるべく、枠組みをアップデートしてゆく必要がある(方法2)。創造力を持って、現状の枠組みに新たな側面(他者の他者性)を組み込み、価値の創造を行い、それを社会的に共有することで、情報環境に対して主体を保ち続けなければならない。そこで、インターネットの対話性は、知識の共有の次元を広げることで、我々の情報環境に対する主体性の保持を容易にさせるかもしれない。
 我々が価値の創造を続け、自己の中に知識を蓄積し、それをインターネットを通じて共有することができれば、情報社会に対して主体的に秩序を与え、社会規範を拡大することで、実存の人間にとってより豊かな社会を実現させることが可能になるのではないだろうか。(981字)

慶應義塾大学 環境情報学部1995年【課題文の整理】

文章A

・複雑性にどのように対処するか

・複雑性の要件:①要素の数の多さ、②要素の種類の多さ、③乱雑さ

・複雑性は、物理的世界と心理的世界とのダイナミクスの中で考えるべき

・複雑性を意識させられるのは、処理限界を超える情報が与えられる時
・人間は、情報を取り込む入口のところで何段階もの入場制限をして、情報の複雑さに溺れないようにしている

・人間の認知系の中には、自ら構造を生成して、主観的に複雑さを低下させる仕掛けがある

・「主観的体制化」という現象も、自分なりの構造を導入して、認知的に複雑性を低下させる仕掛けの一つである

文章B

・問題解消では理想化を目指す。現在のシステムで最適化するよりは、将来においてより良い状態を実現すべく理想的なシステムに近づける

・創造性とは、制約だと思い込んでいるものが何かを知り、それを取り除き、除去した結果がどうなるかを考えることの能力である

・理想再設計法は、システムを取り込む環境は何の変化もないがシステムそのものは前の晩に消失した、という前提で進められる。この前提を置くことによって、自ら思い込んでいる制約を取り除くことができる

慶應義塾大学 環境情報学部1995年【解説】

総評

1995年度の慶応義塾大学環境情報学部の小論文の出題は、課題文自体の難易度は、例年に比べるとかなり低く、課題文の読解というよりも、論述に重きが置かれているように思える。1994年度の出題と比べると、課題文ははるかに読みやすい内容となっていたであろう。

しかし、課題文が簡単だからといって、問題自体が簡単かというとそうではない。与えられる条件が少ない分、自分の力で論理を組み立てる力が要求された。課題文の内容は、いってしまえば、「複雑性に対処する方法」だけであり、かなり抽象度が高い条件であるがゆえに、論述の方向性がいまいち見えづらいのではないだろうか。

この年度の出題は、受験生の自発的なものがより多く求められていると言える。他の年度では、課題文の内容が専門的で難解であるため、読解が正しくできれば、その専門性の高さと具体性ゆえに、書くべきことは明確な出題が多い。しかし、この年度は、そのような方向性の指針がほとんど与えられていないので、書くべきことが見えづらい。いかに自身の持つ知識と結びつけて、自分のフィールドで戦うことができるか、ということが鍵になる。

抽象度の高い小論文の問いでは、何を書くべきか

課題文の内容は、大まかに言えば「複雑性の特徴」、「複雑性に対処する人間の認知系」、「創造性=問題解消」であった。これらの3つの要素を共通点として持つ具体例を考える必要がある。ここまで抽象度が高い条件であれば、条件を満たす具体例は無限にある。そのため、何を書いていいのか分からないかもしれない。

そこで、書くべきことが思いつかない場合には、この問題が大学入試の小論文の出題であるということを忖度してみてほしい。仮に、受験関係なく、実生活の中でこの問題が出されたとしたら、それは具体例は無限である。しかし、これは大学入試であり、これまで「小論文」という科目を、受験勉強として学んできた受験生に対する出題である。これまでやってきたことが全く活かせない出題をするとは考えにくい。

だからこそ、書くことがわからなくなったら、他の年度の過去問との関係性について考えてみてほしい。大学側が求めている能力というのは、1年前、2年前とで大きく変わるはずもなく、SFCに関しては、ここ30年の間ほぼ一貫しているように思える。目の前の問題に真剣になることももちろん重要だが、冷静にマクロな視点で、自分に何が求められているのかを考えてみることも重要である。

なので、問題の具体例の話に戻すと、適切な具体例を、ゼロのベースから考えるのではなく、他の年度の出題や、自身のこれまでの学習との関係性の中で、探るのが妥当ではないだろうか。そうすると、具体例の範囲が絞れてくる。また、初めて触れる内容で小論文の回答を作るよりも、一度書いたことのある内容を具体例とする方が圧倒的に書きやすくなるはずである。

「情報社会」のテーマの特徴、背景を抑えよう

小論文の頻出分野(国家・組織・市場・情報社会・知識・VR・グローバル化・AI)の中で、「情報の複雑性に対処する」がもっともハマるのは、今日の情報社会についてではないだろうか。今日の情報社会における情報は、かなり複雑なものになっており、その複雑性に対処できない人間が続出していることが問題となっている。

ネットリテラシーという言葉はかなりメジャーな言葉になってきたが、教養のない人間が、ネットの嘘の情報に騙されたり、絶えず流れてくるネットの情報により脳の処理能力が低下したり、何も考えずに企業広告に乗ってしまったり、といったことはよく聞く話である。それは、情報の複雑性に対処することができなくなってしまっていると捉えることができる。

今日の情報社会の情報の複雑性というのは、①要素の数の多さ、②要素の種類の多さ、③乱雑さ、のすべての要件を満たし、かつ究極なまでに①〜③を高めている。人間の処理能力を超えてしまうのは当然のことである。

では情報社会=情報環境に適応するために、すなわち、情報の複雑性に対処するために=膨大で複雑な情報の渦に飲み込まれ主体的な行動ができなくなるのを避けるために、課題文で紹介されている方法を使うことができるかを考えてみよう。

背景知識として、情報社会について少し触れたいと思う。結論から言うと、情報社会を生き抜くためには、我々が実存の人間として生きる必要がある。情報環境に適応するためには、自らの実存に基づく経験知が必要である。経験知とは、実存の人間が、他者との相互交渉の中で、自らの規範を超えた側面=他者の他者性に触れ、その側面を自らの規範に組み込むことで、得ることのできる自己の主観的内面世界に形成される経験のことである。経験知を持たないと言うのは、自己規範を超えた側面(他者の他者性)を受け入れないため、経験を蓄積することができず、物事に対する理解の次元が低くなると言うことである。情報社会において、実存に基づく経験を積まないと言うのは、誰かの発信した情報をそのまま自己の中に内面化し、その情報を自己の行動規範とし、その情報を超えた側面を無視して、その情報を絶対化してしまうと言うことである。

ファッションを事例に、情報社会と自己の関係性を考察してみよう

今日の情報社会における情報というのは、資本と結びついていることがほとんどであり、その情報は“背後の誰かが得するようにできている”ものである。例えば、インスタグラムの情報は、オススメに出てくるアカウントの99パーセントは企業と結びついており、ユーザーの消費行動を促しているのである。ファッションがわかりやすい例だが、インスタグラムに出てくるファッションのアイテムやコーディネートは、皆同じような投稿が多い。それは、情報発信の背後に企業の存在があり、同じようなファッションを何度もユーザーに見せることで、「そのファッション=イケてる、おしゃれ、かっこいい」という錯覚を起こさせ、そのようなファッションアイテムを購入へと誘導しているのである。

すなわち、そのような情報を内面化して従属主体化するということは、その情報の背後にある企業に支配されるということで、街中で同じようなファッションを見かけた時に「かっこいい」と思うのは、すでに自己の主体的な判断能力を失っており、企業に従属してしまっているのである。

これは余談だが、本来ファッションとは感性の働きによるものなので、ロゴスとパトスの両方の働きによるものであるはずなのである。ロゴスで「このトップスとこのパンツ合いそうだな」と考え、実際に着てみて、鏡を見て、パトスで「あれ、バランス微妙だな」という新しい発見を得て(他者の他者性に触れ)、その側面を元のロゴスに組み込みロゴスを拡大させ、今度は拡大したロゴスで「このパンツよりあのパンツの方が合うかもな。」と考え、、、と繰り返すものが本来のファッションのあり方であるはずである。

ファッションとは、自らの感性により支えられる感覚であるはずだということだ。しかしながら今日のファッションのあり方はどうだろうか。インスタグラムから流れてくる企業と結びついた情報を内面化した従属主体となってしまっているため、「このブランドの服だからかっこいい」というように、自らの感性による判断ではなく、支配されたロゴスによる働きになってしまっている。

そして感性の働きを伴わず、企業により支配された自身のロゴスによりファッションというものを絶対化しているので、そのロゴスを超えたファッションを受け入れられなくなる。例えば、「韓国ファッション」を内面化し絶対化した従属主体は、「原宿ファッション」を否定したりするのである。自己の内面化した規範を超えた側面は無視する、典型的な近代的主体・従属主体である。

情報社会を生き抜く方法と、複雑性に対処する方法との関係性

情報環境への適応に話を戻すと、このような情報に支配されるようでは、情報社会を生き抜くことはできないのである。自らの実存に基づく経験知を持って、膨大で複雑な情報を主体的に判断することが求められる。情報に支配されるのではなく、自身の経験知を軸に意思決定を行い、その材料として情報を活用することが理想である。そのために、情報環境に自閉するのではなく、人間社会の中で、他者と関わり合い、相互交渉を行い、経験知を自己の内面世界の中に蓄積する必要があるのである。1997年度・慶應義塾大学環境情報学部の問題の解答解説にて、この話題について詳しく触れているので、この情報社会に関する教養を身に付けたい方はそちらを参照していただきたい。

それでは、この情報社会を生き抜く方法と、課題文の中で触れられていた複雑性に対処する方法との関係性を考えていく。まず、人間は情報の要素間の関係規則を見出して主観的に複雑さを低下させる、ということについて考える。これは日常生活の中でもよく経験することなのではないか。これは自己の中に実存に基づいた経験知があるから成り立つものである。全ての情報が初めて接するものであれば、その中から関係性を見出すことはできない。自身の経験の中で、過去に同じようなことに遭遇したことがあるから、情報と情報の間の関係性を見出すことができるのである。

情報社会においては、膨大な情報を取捨選択することが求められるが、それは経験知に基づいて知っている情報を素通りしたり、経験知に基づいて不必要だと判断できる情報を切り捨てたりすることが求められる。これらは複雑性に対処という課題文の記述に通ずる部分があるのではないか。課題文では、情報を受け入れる方法しか書かれていなかったが、今日の情報社会では、情報量が膨大であるがゆえに、人間の処理能力を超えてしまっているため、情報を遮断したり、受け入れを拒否したりすることも求められてくる。

この課題文は1995年のものなので、情報を受け入れないことに関する記述がない。もし、今の時代において、このような情報処理に関する出題があれば、確実にそのことに言及するだろう。

情報社会における、問題解消のプロセスの指針

次に問題解消について考える。課題文の記述によれば、問題解消のプロセスは創造性を必要とし、思い込みの中に存在する制約を取り払い、目の前の問題を解決するというよりは、より理想的なシステムを目指すのだという。これと情報社会との関連とを考えていきたい。

まず今日の情報社会における「制約」とはなんだろうか。制約という言葉を聞くと、今日の情報環境では、誰でも自由になんでも検索することができるし、「いかなる情報にもアクセスできるようになったのだから、制約なんてものはないのではないか」と思うかもしれない。なので、情報社会の問題と考えるとよりわかりやすいかもしれない。

今日の情報社会の問題とは、膨大で複雑な情報を処理できなくなって主体性を喪失する人が続出していることである。本来「情報社会」とは、人間によって、人間の生活をより豊かにする目的で創られた人為的な環境である。これは人間と法律の関係性、人間と社会常識の関係性と同じである。というのも、法律や社会常識も情報社会と同じように、人間の社会的生活をより豊かにするために作り出した社会環境なのである。

ここで人間と法律・社会常識の関係性を考えてみると、これまで法律や社会常識は、人間の生活を豊かにすべくアップデートされ続けてきた。すなわち、人間が法律に支配され従属主体化したり、人間が社会常識に縛られて従属主体化したりすることは全くなかったとは言い難いが、少なくとも大きな問題とはなってこなかった。それは、法律や社会常識はあくまでも人間の社会的な他者との関わりを支えるという立場で、人間の社会的状況に合わせてアップデートされ続けてきたからである。

換言すれば、実存の人間のより良い生活を目指して、環境との相互交渉を繰り返し、法律や社会常識に対して新たな側面を組み込み続けたのである。これと同じことが情報社会にも必要である。我々人間が情報社会に溺れないように、思考の枠組みをアップデートする必要がある。その方法は、課題文の中で紹介されている、創造性をもって制約を取り払うというものである。この創造性を持たないのであれば、制度・社会という自らが作り出した環境に自らが支配されてしまうことになる。

回答の方針と、SFC小論文で求められる要素

これらの観点をまとめて回答をつくることになる。この年度はほぼ具体例で勝負が決まったのではないか。正直、18歳程度の受験生の論述の深さには、そこまでの差異はないように思われる。また課題文がここまで抽象度の高い文章であれば、「深い考察」というものが難しくなる。なので、現実性や説得力の面ではあまり差がつかないのではないだろうか。

ではどこで勝負が決まるかというと、それは具体例である。具体例とはいわば共感・理解を表すものである。受験生が2時間で書くことのできる論理などたかが知れている。2時間以内に完全な説得性を持った論理を立てることはかなり難しい。では何が見られているかというと、課題文の内容を理解しているのかどうか、ということである。それは具体例に表れる。的確な具体例というのは、課題文の抽象論を見事に反映している具体例であり、それは抽象論の内容を理解していることが必須条件となる。なので、この年度は、いかに的確な具体例を提示することができるかということが鍵になる。

結局SFCが求めているのは「教養」である。他の年度では、専門性が高い複雑な文章を理解できるだけの教養。今年度では、何も与えられなくても、自己の知識を探り、関係性を見出し、説得力のある論述ができるだけの教養。これから到来する情報社会を生き抜くことができるキャパシティを受験生に求めているのではないだろうか。知識のないものは、膨大な情報に振り回され、主体的に行動することができなくなる。だからこそ、情報に振り回されないための軸となる部分を要求するのである。

終わりに:SFC小論文の過去問の取り組み方

やはり90年代のSFCの問題は難しいです。やりにくさという面では今も変わりませんが、昔のSFCは受験本番での立ち回りに加えて、蓄積された教養を求めている部分が大きいように感じます。今のSFCは多少無知であっても、本番で考えればなんとかなる部分もありますが、昔のSFCは、そもそも教養がないとスタートラインに立てない問題が多いように思えます。

94年度の総合政策学部の国家像の問題は、近代国家について詳しく知っていないと全く歯が立たない内容になっています。今でこそSFCが第一志望で選択科目はそんなに勉強していないという受験生も多くなりましたが、当時は東大との併願や、早稲田政経蹴りSFCなどがザラにいたため、社会の知識はあって当たり前といったSFC側の意思も伝わってきます。

ただ過去問を見る限り、SFCが受験生に求めていることというのは、大きくは変わっていません。90年代の方がより多くを求めていると思います。なので、90年代のSFCの過去問は練習問題としては最適だと思います。感覚としては、今のSFCの小論文の1.5倍〜2倍くらい難しいです。このレベルになれておけば、本番では絶対に焦らないと思います。

また出題傾向は多少変わっているものの、書くべき論理というのはあまり大きく変わっていません。これが一番大きなメリットなのですが、本番で書くためのストックを作ることができるのです。90年代の問題を一通りやって、解答解説を使ってインプットすべき要素を完璧にインプットしきったら、小論文という科目がかなり楽になります。SFCの小論文では幅広いことは聞かれていません。しっかりと知識を積み重ねてから挑めば、どこかの内容が引っかかります。

逆に、問題を目の前にした時「こんな内容初めて見るな」などと感じるようでは、まだインプットが足りていないです。一部の環境情報学部の年度などに例外はありますが、少なくとも総合政策学部においては対策が絶対に活きます。小論文という科目は才能が求められているわけではなく、能力試験なので他の科目と同じように伸ばすことができます。積み重ねるという感覚を忘れないようにしてください。

以上になります。健闘を祈ります。

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ABOUT ME
Hiro
慶應義塾大学総合政策学部1年。1年間の浪人を経て、英語・小論文受験で合格しました。通っている学部はSFCですが、本キャンの受験経験があるので、本キャンの小論文の解答解説をメインで書いてます!

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